日本人による日本人のための最初のゴルフ倶楽部

[東京ゴルフ倶楽部 ]
03.日本のゴルフ場
03.日本のゴルフ場

埼玉県の東京ゴルフ倶楽部をラウンドしてきました。

 

東京ゴルフ倶楽部は1913年(大正2年)に日本で初めて日本人による日本人のためのゴルフ倶楽部として設立された倶楽部。

この歴史的意義のある倶楽部は過去2度コースを移転し、コース名に名前を付けるとすれば駒沢コース、朝霞コース、狭山コースと移転を続けてきました。

この移転の経緯が日本のゴルフコース設計において大きな影響を与えているので簡単にまとめてみます。

 

東京ゴルフ倶楽部が開場する前でも日本最古のゴルフ倶楽部の神戸ゴルフ倶楽部(1904年開場)や横浜には日本レース・クラブ・ゴルフ・アソシエーション(1906年開場)が開場していたが、どちらも外国人向けの倶楽部。

日本人がのびのびとプレーできるゴルフコースを造ろうということで1913年12月8日に東京ゴルフ会を立ち上げて、翌1914年6月に東京府荏原郡駒沢村(現在の駒沢オリンピック公園)内に6ホール(のちに9ホールに増設)の東京ゴルフ倶楽部を誕生させました。

この駒沢コースでは昭和天皇が皇太子時代に英国のプリンス・オブ・ウェールズと親善試合を行ったコースでもあります。

 

その後、1926年(大正15年)5月9日には18ホールに拡張して6,160ヤード・パー72のコースが完成しました。しかし当時、東京郊外の地価が上がり続け、東京ゴルフ倶楽部の敷地は借地だったために移転の検討を。

複数あった移転候補から最終的に1930年(昭和5年)4月に移転先を埼玉県膝折村(現在の朝霞市)に決定。

そして新コースの建設委員会の委員の一人、大谷光明(昭和天皇の親善試合のパートナー)は世界的に評価の高いコースを目指すために第一人者であったハリー・コルトに設計を依頼。

しかしコルトは高齢を理由に来日できずに、代わりにパートナーだったC・H・アリソンを1930年12月に派遣。

アリソンはコース予定地を視察した後、10日間ホテルに籠り、設計図を作成。これが朝霞コースとなりました。

アリソンが日本に滞在していたのはわずか2か月間で、朝霞コースの設計を終えた後は、国内を移動して川奈ホテル富士コース、廣野ゴルフ倶楽部と設計を行いました。

移動中にも霞ヶ関GC東コース、鳴尾GC、茨城CC東コースと改造のアドバイスなども行い、そのどれもが日本国内のみならず世界的にも高い評価を維持しています。

そして1932年(昭和7年)に朝霞コースは完成して当時は東洋一美しいコースと称されました。

後に日本のコース設計の第一人者として活躍した井上誠一は常にこのアリソンが設計した朝霞コースをの設計図を褒めたたえ朝霞コースが理想のコースと考えていたらしい。

 

そんな素晴らしいコースでした、1940年(昭和15年)に陸軍に軍用地として買い上げられてわずか8年間で姿を消すことに。

この二度目の危機を乗り越えるために現在の埼玉県狭山でほぼ建設を終えていた秩父カントリー倶楽部南コースと合併して、東京ゴルフ倶楽部を存続することに。

南コースの設計は大谷光明が担当。開場は1940年12月15日開場。これが現在の狭山コースになります。

(※ちなみに北コースは赤星四郎と田中善三郎が設計し1935年に開場)

 

このように過去の苦難を乗り越えて現在まで日本オープンを通算7回を開催するなど日本ゴルフ界の中心として伝統を守っています。

米国のゴルフマガジンが2年に一度発表するTop 100 Courses In The World(世界ゴルフコース100選)の2013年の発表では93位にランクインされている世界的な名コースであり、近年では2010年にギル・ハンスがグリーンを改造するなどして伝統を守りつつ、進化も遂げている名門コースでもあります。(ギル・ハンスはリオデジャネイロオリンピックで使用されるゴルフコースの設計を担当している今、話題の実力者)

グリーンは朝霞グリーン(あさか)と知々夫グリーン(ちちぶ)の2グリーン制で今日はサブグリーンの知々夫グリーンでラウンド。

ティーはレギュラーティーからティーオフ。

 

1番ホール 328ヤード パー4

フラットでストレートなパー4

サブグリーンは左。

 

2番ホール 365ヤード パー4

右にグリーンが横切っているパー4

サブグリーンは左。

 

3番ホール 507ヤード パー5

ほぼストレートなパー5

セカンドショットは写真中央の木を気にしながら狙いどころを決める必要がある。サブグリーンは左。

 

4番ホール 139ヤード パー3

フラットなパー3

サブグリーンは右。

 

5番ホール 514ヤード パー5

やや最後の当たりで右にカーブしているパー5

サブグリーンは左。コース右には池があります。

 

6番ホール 410ヤード パー4

左ドッグレッグのパー4

サブグリーンは右。

 

7番ホール 365ヤード パー4

右ドッグレッグのパー4

サブグリーンは左。

 

8番ホール 183ヤード パー3

フラットなパー3

サブグリーンは左。

 

9番ホール 438ヤード パー4

右ドッグレッグの距離のあるパー4

サブグリーンは右。

 

10番ホール 397ヤード パー4

距離のあるパー4

サブグリーンは右。

 

11番ホール 355ヤード パー4

フェアウェイ中央に木の並木があるパー4

サブグリーンは左。

 

12番ホール 176ヤード パー3

グリーンによってティーグラウンドの位置が違うパー3

こちらはメイングリーンのアングル。

こちらはサブグリーンのアングル。

 

13番ホール 547ヤード パー5

まっすぐなパー5だが、フェアウェイがバンカーによってS字になっている。

サブグリーンは右。

 

14番ホール 355ヤード パー4

ほぼストレートなパー4

グリーン手前にはたくさんのバンカーが配置されています。サブグリーンは左。

14bSN3O0012.jpg

 

15番ホール 494ヤード パー5

左ドッグレッグのパー5

コースの左には巨大なバンカーが配置されています。

サブグリーンは右。

 

16番ホール 445ヤード パー4

距離のあるストレートなパー4

サブグリーンは右。

 

17番ホール 146ヤード パー3

バンカーでがっちりとガードされているパー3

サブグリーンは右手前バンカー。

 

18番ホール 431ヤード パー4

左ドッグレッグの距離のあるパー4

サブグリーンは左。

これからも伝統を守りつつ、進化を続けてほしい素晴らしいコースでした。

     

I’m a golf-a-holic man. ゴルフバカです。

ゴルフのためなら世界中どこでも行きます。食事とお酒も大好きな食いしん坊ゴルファー。

2021年6月現在、日本国内約600コース、海外は約300コースをラウンドしているコースマニア。現在、世界中をゴルフ旅しています。ゴルフの腕前は平均スコア90前後のアベレージゴルファー。典型的なエンジョイゴルファーです。

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コメント

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