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「焼き飯とチャーハン」「冷麺と冷やし中華」の東西の違いについて

02.グルメ・食べ歩き

2018年2月18日 15:56

関東と関西で食べ物の呼び方が違うものがありますが、ゴルフをしながら、全国を食べ歩くうちに、その呼び方の違いで面白いなと思った食べ物が2つありました。

それは「焼き飯とチャーハン」、「冷麺と冷やし中華」の2つです。

これは関東のゴルフ仲間と食事に行った時に、「焼き飯を食べに行こう」と話をすると「チャーハンね」と言い返されたり、「日本一美味い冷麺のお店があるから行きましょう」と言って連れて行くと「これは冷麺じゃないよ。冷やし中華だよ」と訂正されたり、することがありました。

私は京都生まれの関西人です。

子どものころから、「炒飯」=「焼き飯」と刷り込まれてきてました。「チャーハン」を日常生活では使うことがありませんでした。(中華料理店でメニューが「チャーハン」のところは「チャーハン」とオーダーしてます。)

同じく、関東でいわゆる「冷やし中華」という食べ物は関西では昔から「冷麺」と呼ばれています。最近ではコンビニの普及やメディアなどの影響で関西でも「冷やし中華」という言葉がよく目にすることが増えてきているので、今では関西人は「冷やし中華」=「冷麺」ということもほとんどの人が理解しています。

逆に関東の方は「焼き飯とは言わずに、チャーハン」、「冷麺と言えば韓国料理屋で食べるもので、中華料理店などで食べる冷たい麺は冷やし中華」だという意見が多いようです。

関西の方はメディアや流通によって関東での呼び方が関西にも広がり、「焼き飯」でも「チャーハン」でも。「冷麺」でも「冷やし中華」でも。どちらでも同じものと理解しています。

 

東西でなぜこのような言い方の差が出たのか、まとめてみました。

 

まずは、「焼き飯とチャーハン」の話

NHK放送文化研究所の塩田雄大研究員が「ことばのゆれ全国調査」の1つの調査で「焼き飯とチャーハン」が全国平均(焼き飯は20%、チャーハンは58%)よりどちらが呼ぶのが多いのかを調べるとは東日本はチャーハン、西日本は焼き飯が多いという結果になったようです。

この東西の差がどのように生まれたのか、塩田さんは以下のような説を唱えています。

17世紀前半には「焼きめし」という言葉は既に使われていた。これは東日本で、用いられていて、現在の焼きおにぎりのことを指していた。明治以降に中国から「炒飯(チャオファン)」が伝わったが、東日本では焼きめしがすでに使われていたので、チャオファンに似た発音でチャーハンと呼ぶようになった。西日本では、焼きめしという言葉が使われてなかったので「焼き飯」と呼ばれるようになった。

という説のようです。

それとは別の説もあります。

1926年(大正15年)に読売新聞で五色蛋炒飯(イーシータンシャハン)という炒飯のレシピが紹介されました。

この時、中国名は馴染みがないので「焼き飯」という名前に変えて日本中に広がったようです。

そして昭和33年に東京の「あみ印」という企業が「炒飯の素(チャーハンのもと)」というご飯に混ぜて炒めるだけで炒飯ができるインスタントの食品を発売したことで、東日本に大ヒットしてチャーハンという言葉が浸透していったようです。しかし、当時はあみ印は西日本への流通網がなく、西日本ではそのまま「焼き飯」という言葉が残ったという説もあります。

(※少し話はそれますが、大正6年創業の福岡県久留米の光華楼は中国の楊州炒飯を参考にして五目焼飯を作りました。炒飯という表記では分かりにくいので焼飯という表記にしたようです。もしかすると光華楼が日本で最初に焼き飯という言葉を使った店舗かもしれません。)

 

私が東日本で一番好きなチャーハンは東京の新江古田駅の近くの白龍トマト館の「スペシャル炒飯」

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そして、西日本で一番好きな焼き飯は、神戸の別館牡丹園の「焼めし」

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ここで別館牡丹園のメニューを見るとダブルスタンダードが。

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一番上の「炒飯」は別館牡丹園の他のメニューもそうですが、中国語で書かれているので炒飯でよいのですが、日本語のメニュー名に「焼めし」とその下に「ミニチャーハン」とも書かれています。これはテプラであとから張り付けているので、最近のメディアや物流の影響でチャーハンという言葉が西日本でも一般化してきたからでしょうか。

 

続いて「冷麺と冷やし中華」の話

まず、問題となる食べ物に「中華料理屋で食べる冷麺」(関東では「冷やし中華」)と「韓国料理屋で食べる冷麺」(関東でも「冷麺」)という2つの食べ物があります。

関東の人は、同じ「冷麺」で二つをどう区別するの?という方が多いのですが関西では韓国料理屋や焼き肉屋で「冷麺」を頼めば、「韓国冷麺」。中華料理屋などで「冷麺」を頼めば、関東でいう「冷やし中華」が出てくるから間違えることはないやろ。という考えがあります。メニューに両方の冷麺があれば、「韓国冷麺」と「冷麺」で使い分けることもあります。

ではなぜ、関西では「冷やし中華」のことを「冷麺」と呼ぶのか?

一説には何でも略す大阪人の気質で「冷たい中華麺」や「冷たいラーメン」を略して「冷麺」と呼ぶようになったのだとか。

もう1つの説では京都の中華のサカイが1939年(昭和14年)に関東でいう冷やし中華を「冷麺」というメニューで提供してそれが関西に広がった。という説もあります。

(※冷やし中華の発祥は東京の揚子江菜館(1933年)や仙台の龍亭(1937年)だと言われています。しかし、揚子江菜館も龍亭も正式名称は「冷やし中華」とは呼ばずに「涼拌麺」と呼んでいます。)

私はおそらく後者の説ではないかなと思います。

そして揚子江菜館や龍亭は涼拌麺と呼んでいたのにいつの間に関西以外では冷やし中華と呼ぶようになったのか?

調べてみると仙台のだい久製麺が最初に「冷やし中華」と名付けたようです。

だい久製麺のホームページに以下のように記載されていました。

———–(ここから)

「元祖だい久 冷し中華」の商標で昭和35年に販売を始めた〈冷し中華〉は、中華料理で食されていた「涼伴麺」を家庭向けに開発。 仙台っ子の好みの味にアレンジしたのが最初でした。

麺の包装後に蒸気処理した生ラーメンは当時の夏場商品としては 業界の危機を救うほど画期的なもので、冷たくても固まらない液体スープ付きの即席性が人気を呼び、宮城県下に一躍ブームをもたらしました。

自社利益だけに固執せず「冷やし中華」の商標をフリーにした初代・大久康の心意気は今もなお全社員のサービス精神に息づいています。

———–(ここまで)

昭和35年以降に「冷やし中華」という言葉が全国的に広がり、一方で関西ではすでに「冷麺」という呼び方が広まっていたので家庭向けの商品も関西の企業は「冷麺」で販売を続けたことで呼び方の違いが生まれたようです。

 

私が日本一美味しいと思う冷麺(冷やし中華)は、京都の中華のサカイの「冷麺」

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私が日本一美味しいと思う冷麺(韓国冷麺)は、東京の赤坂のチョンギワの「水冷麺」にビビン冷麺のビビンソースを特別にトッピングした特注のビビンムルネンミョン

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以上、「焼き飯とチャーハン」、「冷麺と冷やし中華」の東西の違いでした。


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