母方の祖母の出身地の奄美大島に今月、息子を連れて二人旅する予定です。
旅行のきっかけは、今年の5月に母が他界したので、その母のルーツの地に出向き、色々と触れてみたいというのが理由
前回の記事はこちら 「阿母のルーツを探る奄美の旅」
その苗字は「加勇田」
そしてネット上で「加勇田」を調べていると
藩政末期~明治前期の奄美で最初に医師免許をとった「加勇田 藤良」さんという方に情報にたどり着きました。
「加勇田 藤良」さんは「南島雑話」の著者「名越左源太」さんが奄美に流された時に家を提供した藤由気(とうゆき)さんの養子である嘉美行(かみゆき)さんが、後に改名した名前のようです。
嘉美行さんが名越左源太さんが奄美に流されてきた時に居をかまえた小宿集落へ案内し、左源太さんが奄美にいた間は方言を藤由気さんや嘉美行さんに習い、さらには算術を習ったということが左源太さんの「遠島日記」に記述されているとのこと。
左源太さんが許しをもらい鹿児島へ帰る際に嘉美行さんは同行して医術を学び、明治17年には開業免許を渡されたようです。
そして嘉美行さんは奄美に帰ってきてからは小宿ではなく朝仁に住み、加勇田と改名したそうです。
そんな話を母の兄(伯父)に伝えて、追加で情報をもらったところ、伯父は子どもの頃、私の祖母のお父さん(叔父からみたら祖父で私から見たら曾祖父)が病気になり病状が悪化したのでお見舞いに奄美の地を家族で訪れたことがあったとのこと。
私からみた曾祖父が住んでいたところが「朝仁」という地名だったということがわかりました。
加勇田という珍しい姓と住んでいた場所が朝仁という一致は偶然ではなく、おそらくこの加勇田 藤良さんが私の曽祖父なのではないか?という思いが。
上記の情報を得た奄美郷土研究会のページから研究会の関係者の方に電話して聞いてみると、現在、加勇田さんの末裔は奄美大島には住んでおらず、本土に移住しているとのこと。
もう少し、調べておくので奄美に来たときにタイミングが合うなら会いましょうとも言っていただけました。
ますます、奄美訪問が楽しみになってきました。
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