ゴルフの起源を徹底的に調べてみた

01.ゴルフの話題
01.ゴルフの話題

最古のゴルフコースを徹底的に調べてみたシリーズは今まで世界最古(スコットランド)アイルランドのコースを取り上げてきた。

そして次回はアメリカだなと思い、まとめていたのだが、その前にゴルフの起源についてまとめておく必要がでてきたので、ゴルフはどこで生まれてどのように伝わったのか?という話を記事にしてみた。

この記事をまとめるにあたってヨーロッパの中世から近世の歴史について再勉強をした。高校時代の時はヨーロッパの歴史になんて興味もなく、テスト前夜に丸暗記してテストが終われば忘れるということを繰り返していたが、今回は、その当時の歴史背景まで知ったうえでゴルフの起源について調査したかったので徹底的に勉強をして欧州大陸の歴史の複雑さを初めて知る良い機会になった。

Txllxt TxllxT, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

まず最初に結論からいうと、ゴルフのルーツはいろいろと説があるが、現在のゴルフの形になったのは15世紀頃、スコットランドに伝わり、リンクスでプレイされて形作られたのは間違いないということだ。

そしてスコットランドからイングランドに伝わり、大英帝国の発展と共に世界中に広がっていったのである。

スコットランド・イングランドの史料に残る打球技

大阪体育大学の中房敏朗氏がまとめた「中世イギリスにおけるボール・ゲームを表す語句及び史料の存在状況について」によると、スコットランドとイングランドの史料に、打球技(道具を使いボールを打つ球技)が記載されている一番古い情報は、

イギリスのPublic Record Office / 公文書局に保管されているChancery / 大法院の1277年の裁判記録に何らかのボールと道具を使った打球技の事が記載されていた。これが打球技に関するイギリスで一番古い記録である。

続いて、1363年には、Cambuct / カンボクと呼ばれる打球技がイングランド国王のエドワード3世が発令した「ハンドボール、フットボール、クラブボール、カンボクを禁止にした法令」に記載されていた。カンボクは後述するカンブーカのような競技だと想像される。カンブーカはゴルフというよりホッケーのルーツであると私は考えている。

そして以前のこちらの記事にも記載していたが、

ゴルフという言葉が初めて記録に残っているのは、イングランドとの戦争に向けて、兵士が弓の訓練をせずにゴルフに夢中になっていたので1457年にスコットランド国王のジェームズ2世「ゴルフ禁止令」を出したのが初めてである。

つまり、13世紀から15世紀中頃の間に、ゴルフがスコットランドで発祥したか、もしくはどこからか伝わってきたのが記録から推測できる。

スコットランドの羊飼い発祥説は作り話だった

ゴルフはスコットランドが発祥という説の「スコットランドの羊飼いが石ころを杖を使ってウサギの巣の穴に入れて遊んでいたのが始まりという話」は、今回、徹底的に調べると推測というか作り話だったことがわかった。

これは、1887年にSir Walter G Simpsonが出版した「The Art of Golf」で、ゴルフはスコットランドの羊飼いが自然に作り出したものだと書かれていたのがスコットランド発祥説の情報のソースなのだが、この書籍のゴルフ発祥の章で、「probably(おそらく)」という単語で説明していたのだ。その文章には、「羊飼いが丸い小石を見つけ出し、手に持っている杖で小石を叩くのは息をするように当然のことだ。」と何の根拠もなく推測で書かれていた。

そしてこのprobablyは2回も出てくる。2回目の文章は、以下のようにカッコつきの(probably)とおそらくを強調していて説明しているのだ。しかも場所もセントアンドリュースのリンクスもperhapsとたぶんという表現なのである。

once on a time (probably) a shepherd, feeding his sheep on a links perhaps those of St. Andrews – rolled one of these stoneș into a rabbit scrape.

[The Art of Golf] Part1 Chapter2 The

翻訳すると

その昔(おそらく)、羊飼いが、たぶんセントアンドリュースのリンクスで羊に餌をやっていたとき、石のひとつをウサギの巣に転がして入れた。

と筆者がこうだったんだろうなというただの推測の文章が、スコットランド発祥説として語り継がれていたのが判明した。

「Golf」という名前になったのも、最初は距離の短いパッティと呼ぶ遊びをしていたのが距離が長くなり、遠くに飛ばすことが主な関心毎になり、「Go off」から「Golf」と呼ばれるようになったと何の根拠もなくダジャレのような作り話まで書かれていた。

羊飼いが始めたというのはロマンはあるが、作り話である可能性が非常に高い。

ローマ帝国発祥説

紀元80年前後にローマ帝国の将軍グナエウス・ユリウス・アグリコラがブリタニア(グレートブリテン島の南部)とカレドニア(グレートブリテン島北部)へ遠征をしたときに、「Paganica / パガニカ」と呼ばれる羽毛をつめた革製のボールを曲がった木の枝で打ち合うゲーム持ち込んで、5世紀までのブリテン島を支配していたローマンブリテン時代に土着してゴルフになったという説がある。

アグリコラ像 Ad Meskens, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

しかしこれは、ボールの直径が15センチと大きく、木や岩などのターゲットに当てるのが目的で2チームに分けれて反対方向に攻撃するというホッケーのようなゲームでゴルフとはゲームスタイルが違うし、アグリコラがスコットランドに侵攻した1世紀から、ゴルフやイングランドでプレイされていたホッケーのようなゲームのカンブーカなどが文献に記載される14・15世紀頃まで空白の期間があるのでローマ帝国がグレートブリテン島にパガニカを持ち込んでいない私は思う。

イングランドの大聖堂に描かれているゴルファー?のステンドグラス

イングランドに1100年にノルマン修道院教会として建てられたグロスター大聖堂にはグレートイーストウインドウというイングランド最大級(高さ22m幅10.4m)のステンドグラスがある。そのステンドグラスの右下にはゴルフのスイングをしているような男が描かれている。

この窓は、1346年にフランス北部で起こったクレシーの戦いでイングランドの勝利を記念して1350年頃に作られた。

イングランドにスコットランドからゴルフが伝わったのはスコットランド国王のジェームス6世(イングランドではジェームス1世)が1603年にイングランドの王位を継承するためにロンドンにやってきたときに、伝わったと言われているので、このステンドグラスがゴルファーだとしたら時代が合わない。

このゴルフのような男性は「Bandy Ball / バンディボール」「Knott・Not / ノット」「Cambuca / カンブーカ」というホッケーのようなゲームをしているという説がある。もしくは対岸のフランスの「Crosse/クロッセ」「Chole/コール」やオランダの「Colf/コルフ」をプレイしているという説もある。

中国発祥説

中国で宋王朝(960~1279年)から元王朝(1271~1368年)にかけて流行した「Chuiwan /捶丸・チュイワン」という球戯がゴルフのルーツという説がある。木と竹から作られた棒で木の節から作られた球を打ち、穴に入れるというゴルフと似ているルールの競技で複数の文献や絵で記録に残っている。

The Palace Museum, Public domain, via Wikimedia Commons

2022年には河南省の大学の陶磁器を保管している場所から陶器と磁気の球が大量に発見されて、放射線の測定から唐、宋、元時代に捶丸で使用されていたものと鑑定された。

明王朝(1368~1644年)でも遊ばれていたが徐々に廃れていった。

この捶丸がヨーロッパに伝わり、ゴルフに発展したとも言われているが、伝わったという物証は残っていない。

アイルランド発祥説

アイルランドでは昔から「Hurling / ハーリング」というスティックとボールを使用して行うケルト族を起源に持つ、競技があり、アイルランドの国技でもある。

Here, Public domain, via Wikimedia Commons

アイルランド神話の紀元前1300年頃のマグ・トゥレドの戦いでダーナ神族とフィル・ボルク族との闘いでハーリングの試合が行われたという記述が残っている。神話の中のハーリングは競技というよりは骨が折れることもあるまさに戦いだったようだ。(画像は現在のハーリング)

スコットランドで今も行われているShinty / シンティ(ゲール語でCamanachd / カマナハド)、ウェールズのBando / バンド、マン島のCammag / カマグはハーリングがルーツと呼ばれていてどれもフィールドホッケーのようなゲームである。

1527年にはアイルランドのゴールウェイの議事録にハーリングなどスティックや手を使う球技を禁止するという議事録が残っている。スコットランドではシンティは16世紀頃からプレイされていたという記録が残っているがそれより前の記録は残っていない。

ローマ帝国発祥説のパガニカでも書いた事だが、チーム戦ということなどゴルフとは大きくルールが違うのでこの説も違うと思う。

フランス・イタリア発祥説

「Pallamaglio / パラマーリオ」(「パラ」はボール、マーリオは「槌」という意味)というイタリアのナポリで12世紀に発明されたゲームがフランスに伝わり「Jeu de Mail / ジュ・ド・メール」または「Jeu de Maille / ジュ・ド・マイユ」と呼ばれるゲームになった。フランスに残っている最初の記録は1416 年で、このゲームがゴルフ、クロッケー(日本のゲートボールのルーツ)、ビリヤードのルーツになったという説。

Adriaen van de Venne, Public domain, via Wikimedia Commons

ゲームのルールはGrand Coup / グランクーというボールを遠くに飛ばすのを競うゲーム、Rouët / ルーエという複数のボールを使うビリヤードのようなゲーム、Chicane / シケインという最も少ないストロークでゴールを目指すゲーム、Partie / パルティというチーム戦の4種類あり、この中のシケインがゴルフに似ているのでルーツではないかとも言われている。

スコットランドとフランスは同盟国なのでスコットランドには、フランスと敵対国だったイングランドより早く、ジュ・ド・メールが伝わり、イングランドにはスコットランド国王のジェームス6世(イングランドではジェームス1世)が1603年にイングランドの王位を継承するためにロンドンにやってきたときに、ゴルフと一緒にジュ・ド・メールも伝え、イングランドでも人気のゲームとなった。イングランドでは「Pall Mall / ペル・メル」と呼ばれていて、このゲームのために使われていた通りの「Pall Mall」「The Mall」というストリート名が現在も残っている。

似たフランスのゲームに「Crosse / クロッセ」というゲームがある。クロッセはホッケーのスティックやゴルフクラブの意味でイギリスでは「Choule / チョール」「Chole / チョレ」と呼ばれている。このゲームが最初に文献に登場するのは1332年になる。

街の路上や野原で曲がった棒と楕円形の木の球を使用し、二人一組で、攻撃側は決められた打数以内でゴールを目指し、防御側は相手チームを阻止するゲームだった。現在もクロッセはフランスとベルギーの国境周辺でプレーされている。

1421年にフランスのボージェでフランス軍とイングランド軍の間で起こったボージェの戦いでフランス軍に協力したスコットランド軍がチョレをフランス軍から紹介されたという記録が残っている。

しかし、上記のジュ・ド・メールの絵を見てわかるように木槌を使うゲームでボールはつげの木から作られているのでクロッケーやビリヤードのルーツの可能性は高いがゴルフのルーツではないと私は思う。

オランダ発祥説

今まで色々な説を紹介してきたが、現在一番有力で多くの証拠が残っているのがオランダ発祥説である。

12世紀頃から「Jeu de Mail / ジュ・ド・メール」のようなクラブとボールを使った球技は現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルグの低地諸国、ローカントリー(ネーデルラント)でも遊ばれていて、その球技は、「Balslaen」、「Sollen Metter Colve」、「Spel Metten Colve」、「Culuen」、「Colffven」、「Colven」、「Kolven」「Colf」、「Kolf」など様々な呼び方があった。

ルールはColfと呼ばれるクラブを使って、スタートから目標の的(ドアや木など)にできるだけ少ないストロークでボールを移動させるゲームだった。

この「Colf」「Kolf」のルール・呼び方がスコットランドに伝わり「Golf」になったと言われている。

Hendrick Avercamp, Public domain, via Wikimedia Commons

実は現在もオランダにはこの古典的なコルフから進化した別のコルフと呼ばれる球技が遊ばれているのだがこれは後ほど紹介するとして、古典的なコルフをColf、進化したコルフをKolfと区別して表記しておく。(区別して表記している理由も後ほどに説明する。)

そして古典的なコルフ /Colfについて一番古く記録が残っているのは1261年にフランドルの詩人、Jacob van Maerlant / ヤコブ・ファン・マールラントのオランダ語写本「Boeck Merlijn」に「Mit Ener Coluen」というクラブを使用する球技の事が書かれていてこれがColfに関するオランダ最古の記録である。

世界最古のゴルフのルーツの球技の絵

Speculum Maius, CC BY-NC 4.0, via Shared Canvas

13世紀後半にフランスの修道士Vincent de Beauvais / ヴァンサン・ド・ボーヴェが出版した中世の百科事典「Speculum Maius / スペキュラム・マイウスにクラブとボールを使ったゲームが描かれている。この絵がゴルフのルーツになった球技の絵としては世界最古だと言われている。

Stad Brugge, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

ゴルフブックと呼ばれている時祷書

Golf Book Workshop of Simon Bening, Public domain, via Wikimedia Commons

その他、ゴルフに似ているゲームが描かれてる絵として1540年にフランドルの写本画家のSimon Bening / シモン・ベニングが出版した時祷書内の挿絵が有名である。

時祷書とはローマカトリック教会のキリスト教信者向けに信仰・礼拝の手引きにとして作られた書物のことをいい、この挿絵からこの時祷書は通称ゴルフブックと呼ばれている。

ブルージュ(現ベルギー)のスタジオで描かれたと言われている。

このページは9月のページだそうだ。

記録に残る世界最古のColfコース

伝承であるが、1297年12月26日にLoenen aan de Vecht / ルーネン・アーン・デ・フェヒト(現在のオランダ・ユトレヒト州にある村)で民衆に人気のあったオランダ・ゼーラント伯爵のフローリス5世を殺害したヘラルト・ファン・フェルゼンの処刑を記念してColfの試合が開催されるようになった。

木製のクラブとボールを使用し、以下の全4ホールを4人1組の2チームで対戦していた。各ホールのゴールはドアや門が使用されて最初にボールをゴールに当てたチームにはビールが振舞われていたようだ。

1番ホール 裁判所からKroneburg Castle / クローネンブルグ城の勝手口までの660ヤード
2番ホール クローネンブルグ城の中庭からルーネンの風車のドアまでの1870ヤード
3番ホール 風車から te Velde Castle / テヴェルデ城の正面玄関までの1980ヤード
4番ホール テヴェルデ城から裁判所のドアまでの440ヤード
合計4950ヤード

この4ホールのコースが、Colf の記録に残っている最古のコルフコースだと思う。現在はクローネンブルグ城は解体(1837年)されているようだが、いつか訪れてみたい。

Rijksmuseum, CC0, via Wikimedia Commons

Googleマップでは草原のようになっているのがクローネンブルグ城跡のようだ。

このゲームは 1830 年まで500年以上毎年プレイされていた。

一度はなくなったこのイベントも1997年以降、10年ごとに当時を再現して試合が開催されているようだ。

直近では2017年6月末に開催されたというニュースが残っていた。次回は開催されるとすれば2027年、今から3年後だ。

2017年6月25日のニュース https://www.nationaalgolfmagazine.nl/nieuws/nieuws/143680/-

低地諸国で広く遊ばれていたColf

14世紀から17世紀にかけて、Colfは低地諸国では宮廷や修道院だけでなく一般市民にも広く遊ばれていた。遊ばれていた場所は、町の道路、広場、教会の庭や、小氷期の冬には凍結した川や運河の氷上でプレイされていた。

ルールは、少ない打数でゴールの的(ドアや木など)を目指し、コースは数百メートルから数キロにもなるコースもあったようだ。

National Gallery of Art, CC0, via Wikimedia Commons

裕福なプレイヤーは皮製ののボールを使用していたが、一般市民は安価な木のボールを使用していたこともあり、事故などが多発していた。

そのため、多くの都市では、条例などによってコルフのプレーが禁止された。

1360年、ブリュッセル議会はコルフゲームを禁止し、禁止を破った者には20シリングの罰金を払うか、オーバーコートを没収する条例を可決したり、1390年2月20日には、アルブレヒト・ファン・バイエルンは、ハールレム市民に対してハールレマーハウトにある市の門の外に「デ・ベーン」という専用の競技場を提供し、城壁内でのコルフをプレイしないようにさせた記録が残っている。

1401年にドルドレヒト、1480年にアムステルダム、1578年にはユトレヒトでもコルフが禁止され、更にアムステルダムは1600年代にも10回もコルフ禁止令が出されたように何度禁止しても低地諸国の人々のコルフへの情熱を抑え込むことができなかった。

低地諸国のColfがスコットランドに伝わりGolfに

ではいつごろにオランダからスコットランドにゴルフが移ったのか?

まず背景として、1124~1153年にスコットランド王だったデビッド1世は低地諸国のフランドル地方からスコットランドへの入植を奨励し、当時からスコットランドはフランドルに羊毛を輸出し、一方、タペストリーなどの上質な布地をフランドルのブリュージュから輸入する良好な関係が構築されていた。

そして15世紀には、低地諸国はブルゴーニュ公の領地の一部となり、1449年にスコットランド王ジェームズ2世がフィリップ善良公(ブルゴーニュ公)の姪であるゲルダース公メアリーと結婚したことで、更にスコットランドと低地諸国の関係が強化されていった。

このような状況で15世紀前半にはスコットランドのセントアンドリュースやエディンバラは低地諸国の港町、デンブリエル(ブリーレ)と頻繁に船舶の往来があり、1387年にはデンブリエルですでにコルフがプレイされていたこと。

一方のスコットランドでは1424年にジェームズ1世が出した法令はアーチェリーの練習を奨励し、サッカーを禁ずる法令だったのに対し、1457年にジェームズ2世が出した法令ではゴルフとサッカーが禁止され、1471年のジェームズ3世、1491年のジェームズ4世が出した法令もゴルフとサッカーが禁止されている事実から判断すると1424年の時点ではスコットランドではまだゴルフが伝わっていなかった。もしくは伝わったばかりでそこまで人気が出ていなかった状態であることが推測できること。

そして港町デンブリエルと行き来のあったセントアンドリュースにはオールドコースがあるし、エディンバラにはかつて存在していた世界最古のコースの1つのリースリンクスがあったこと。

以上のことを考えるとスコットランド商人が、当時低地諸国で流行っていたコルフを1424年頃から1457年の間のどこかでスコットランドに伝えた可能性が高い。

また当時、ゴルフボールも低地諸国のゴイルレという町で生産されていて、そこからスコットランドに輸出されていたという記録も数多く残っている。一番古い記録は1486年に輸出したという記録が残っている。

1618年にジェームズ6世がスコットランドへのゴルフボールの輸入を禁止するまで上質なゴルフボールは低地諸国から輸出されていたのだ。禁止により、スコットランド国内のゴール製造業者が発展し、産業として成長していった。

GolfやTeeの語源

中世オランダ語で棒やバットなどを意味する言葉が「Colf」や「Colve」であり、「Golf」の語源ではないかと言われている。

もう1つの説としてスコットランド語のボールを打つという言葉が「Gouf」であり、これに由来するという説もあるが、「Gouf」自体が中世オランダ語の「Colf」や「Colve」からきていると言われている。

Rijksmuseum, CC0, via Wikimedia Commons

そして、ボールは土のマウンド、もしくは雪のマウンドを作ってショットしていて、この小さなマウンドを「Tuitje」と読んでいて「Tee」の語源ではないかとも言われている。(もう1つの説としてケルト語で「家・住居」を「Tigh」と呼ぶのでここからきているのではないかという説もある。)

ショートゲームのKolfの出現

ColfとKolfは、元々同じゲームの用語として使用されていた。ある文献ではColfと書かれていて、別の文献ではKolfと書かれていたように文献により、まちまちであった。

今まで説明してきたGolfの前身である古典的なコルフはオランダでは17世紀から18世紀初頭にかけて、衰退していった。

その理由は屋外での事故などが多発したことで多くの禁止令などが出されたことで、1700年初期頃に安全にプレーできるコート内で競技する別のルールのコルフが誕生した。

この新しいゲームもColfであったり、Kolfと呼ばれていたりしていたが、1982年にSteven van Hengel / スティーブン・ファン・ヘンゲルが出版したEarly Golfで古典的なコルフをColfと表記するようにし、この新しいコルフをKolfと区別して分かりやすく学術的に使い分けて表記したことで、現在ではそのように使い分けられるようになった。

安全にプレイするために距離が縮められて長さ20m、横幅5mほどのコートの中にポールが設置されて、それを目標にしてプレイするいわゆるPall Mall / ペル・メルのミニチュア版のような競技であった。当初はColfと同じクラブとボールを使用していたが、18世紀後半になると、重いスティックとゴルフより大きなボールが使用されるようになった。

Do Smit, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

1771年にはオランダで最初の屋内Kolfコートが建設され、その後、短期間にオランダのほぼすべての都市に複数のKolfコートが造られた。最盛期ににはアムステルダムだけでも200以上のコートが造られていたが、ブームは過ぎていき、1878年にはアムステルダムからコルフコートは姿を消した。

1885年には、この競技が衰退してなくならないようにNederlandsche Kolfbond / ネーデルラントコルフ連盟を設立し、現在もKolfは、北ホラント州周辺でプレーされていて、ユトレヒトにも1730年から使用されているコルフコートが残っていて毎週プレーされている。

連盟は100周年を迎えた1985年に「Koninklijk /王立」の称号が授与され、Koninklijk Nederlandse Kolf Bondの名の元、33の協会、17のコルフコースとして活動を続けている。

王立ネーデルラントコルフ連盟のWEBサイト
KNKB – Koninklijke Nederlandsche Kolfbond

スコットランドからオランダに逆輸入されたGolf

オランダはColfからKolfへ流行が移っていたが、やがてKolfも衰退していき、それにとって代わったのが、Golfである。

オランダから海の向こうのスコットランドにColfが伝わり、Golfに進化。そして再び、スコットランドから逆輸入されたのだ。

1889年にオランダ初のゴルフコース(9ホール)がヴァン・グリーネン男爵が所有しているクリンゲンダールの敷地内に造られた。

Koninklijke Haagsche Golf & Country Club Knpje, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

次に1893年にHaagsche Golf Club / ハーグゴルフクラブ(後のKoninklijke Haagsche Golf & Country Club)がオランダ初のゴルフクラブとして設立した。(厳密にオランダ初のゴルフコースとゴルフクラブは1872年に当時のオランダ領のインドネシアのバタビアに1872年に造られたBatavia Golf Club / バタビアゴルフクラブであるが植民地で本土ではない)

そして、1894年にはDoornsche Golf ClubとHilversumsche Colf Clubが、その翌年にはRosendaelsche Golf Clubが設立された。その後、1914年にはオランダゴルフ連盟が結成され、オランダにもゴルフが広がっていった。

オランダ王立ゴルフ連盟ヘリテージ委員会

オランダ王立ゴルフ連盟ヘリテージ委員会のWEBサイトがあり、近代のGolfからGolfのルーツになったColf、オランダで独自に進化したKolfなど様々な情報が掲載されている。

Golfgeschiedenis

そしてGolfはアメリカへ

この記事の冒頭でも説明したが、アメリカの最古のゴルフコースの記事をまとめようとしていたら、オランダのColfの話を抜きにして話せないことがわかったので、まずはゴルフのルーツについて記事をまとめた。

この後はいよいよアメリカの最古のゴルフコースを探ってみる。

     

I’m a golf-a-holic man. ゴルフバカです。

ゴルフのためなら世界中どこでも行きます。食事とお酒も大好きな食いしん坊ゴルファー。

2021年6月現在、日本国内約600コース、海外は約300コースをラウンドしているコースマニア。現在、世界中をゴルフ旅しています。ゴルフの腕前は平均スコア90前後のアベレージゴルファー。典型的なエンジョイゴルファーです。

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コメント

  1. ものすごく興味深いお話をありがとうございます。
    羊飼いは一人でいることが多いでしょうから熱狂的なスポーツに発展するわけないですもんね。

    • 芝鳥 のぶあま より:

      長文読んでいただき、ありがとうございます。
      オランダ語の資料をたくさん読んだのでかなり時間がかかりました。