ゴルフコースマニアへの入り口
私が世界中のゴルフコースを巡る旅を趣味にしているのは、このブログの読者の方はご存じだと思う。
ブログを立ち上げたのは2008年。今ではこのサイトもゴルフコースを取り上げるサイトとしては世界の900コースを紹介していて国内最大になっている。
世界TOP100コースも半分以上ラウンドしているし、誰も知らない離島のゴルフ場なども訪れる生粋のゴルフコースマニアだ。このブログのネーミングにもなっているゴルフバカである。
最近、いろんな方から「ゴルフバカになったきっかけは?」と良く質問をいただくのでその原点の話をまとめてみた。
来年の1月で15周年になるゴルフバカの気まぐれブログは、元々、単なるゴルフを楽しむ個人的な日記として始まった。
「100叩いた。100を切った。初の70台が出た。」などなど、他人から見たらどうでも良い記事をアップして同じようにゴルフを趣味とする人たちとの交流を深めていき、気が付けば世界中にゴルフ仲間のネットワークが広がっていった。
そんな世界中のゴルファーと繋がり、ゴルフ旅の沼にハマるきっかけになったのは、ペブルビーチを訪れたことが大きな転機になっているように思う。
ペブルビーチをラウンドしたのはゴルフを再開して2年目。海外でのゴルフはグアム、タイ、ハワイ、台湾と経験し、日本国内の名門コースもそこそこラウンドしていたが、そのスケールの違いに感銘を受けた。
その旅のことを今回は語ろうと思うが、まずはその前にゴルフとの出会いから話をしたいと思う。
ゴルフとの出会い
ゴルフとの出会いは大学生の頃だった。今から30年以上前の事だ。
1991年に大学に入学。そこで出会った友人がゴルフコースでキャディのバイトをしていて「ゴルフ、面白いよ。今度一緒にゴルフしようよ」という一言で、始めたのがゴルフとの出会いだった。
当時はバブルの崩壊が始まっていたが、学生の私には全く実感がなかった。
学生時代に数回のゴルフのラウンドをして、卒業旅行はみんなでゴルフ旅行でグアムに。
「海越えのホールがあるマンギラオをどうしてもラウンドしたい」という私の我儘に大学時代の友人たちに付き合ってもらった。
私は海の見えるゴルフコースが大好きなのだが、この時の刷り込みがあるからかもしれない。
しかし、ゴルフはこの卒業旅行を最後に就職後は全くすることはなくなった。
ゴルフとの再会、そしてゴルフコースに魅せられる
就職後、全くゴルフをしなくなった理由は2つあると思う。
1つは、会社の上司や同僚にゴルフをする人がいなかったこと。
もう1つは、大学卒業してすぐに結婚したので経済的に余裕がなかったというのも理由だったと思う。
大学時代に数ラウンドぐらいしかしてなかったし、20代の時は仕事に夢中になっていたので、必然的にゴルフから遠ざかっていった。
そんなところに、仕事の関係の友人からゴルフコンペのお誘いがあった。2007年秋の36歳の頃だ。
「ゴルフコンペの人が足りないので、出てくれないか?」
15年以上前のクラブだが、まだ自宅の置いていたので、軽い気持ちで参加したのだ。
10年以上ぶりのゴルフ。もちろん、ラウンドの前に練習に何度か行ったけど、チョロ・ダフリのオンパレードのラウンド。それでも心から楽しめた。
その久しぶりにラウンドしたゴルフコースが関西の名門コースの西宮カントリー倶楽部だった。
広くない限られた土地に流れる仁川を巧みに使いながらコースがレイアウトされている事に素人ながら感動したのがコースマニアへの入り口だったと思う。
そしてふと頭に浮かんだのが「誰がこのコースを造ったのだろう?」
そう思い調べると「井上誠一」というコース設計の巨匠が造ったと知り、そこから井上誠一のコースを巡る旅が始まった。
運よくゴルフを再開した最初のラウンドで、ゴルフコースは設計家がとても重要なのだという事を知ったのだ。
この日から、いろんなゴルフコースを訪問して、その設計家が考えたことを感じながらゴルフするようになった。下手くそなので設計者の意図通りに攻略できることは少ないのだが。。
この三か月後にゴルフバカの気まぐれブログを開設した。
アメリカ西海岸にゴルフ
そしてペブルビーチの話になる。
2010年10月。ブログを開設して2年目に仕事でアメリカ西海岸に行くことになった。仕事でというのは半分、言い訳でゴルフとセットがいつもの事だ。
きっかけは、9月にペブルビーチでゴルフ旅行の仕事をされているジョニーさんと福岡でゴルフをご一緒して、そのジョニーさんのセッティングでアメリカ西海岸の名門コースをラウンドできるという話をいただいた。
当然、ペブルビーチの事は世界TOP100コースに常に10位以内にランキングしてるのは知っていたし、「いつかラウンドしたい」と思っていたのがサラっとその機会がやってきたのだ。
しかも通常は、ペブルビーチをラウンドするには、併設のホテルに2泊宿泊した人がティータイムを予約できるのだが、ジョニーさんにお願いすれば、空きがあれば、宿泊せずにラウンドすることができるというのだ。
ただし、この時期はオンシーズンで空き枠がなく通常のティータイムは難しいので、14時以降にスタートするノンギャランティー(日没のため18ホール全てラウンドできるかどうかわからない)の枠ならラウンドできるかもしれないという状態だったが、仕事のついでというのもあるので、ダメ元で西海岸まで行くことにした。
ペブルビーチでゴルフできるかどうかは、現地に行かないとわからないが、2年後の2012年に全米オープンが開催されるオリンピッククラブとノーザントラストオープンが開催されているリビエラカントリークラブは予約が取れたと連絡があった。ペブルビーチはお金を払えばラウンドできるパブリックのリゾートコースだが、オリンピックもリビエラも、どちらも簡単にはラウンドできないプライベートクラブのラウンドがあっさりと決まってしまった。
あとは現地に行き、その時の流れでラウンドするコースを決めようという事になった。
オリンピッククラブ、リビエラCCがラウンドできるだけでも、十分すぎるので、ペブルビーチは、最後までラウンドできなくていいからラウンドできたらラッキーかなという感じでアメリカ西海岸に飛んだ。
サンフランシスコに到着
関空からサンフランシスコ国際空港に到着。
サンフランシスコは昔、シアトルに行くときに乗り継ぎしただけで外に出るのは初めて。
初日はサンフランシスコで一泊してチャイナタウンで中華料理のランチを食べたり、ケーブルカーでフィッシャーマンズワーフに向かい、散策したり、食事や観光を楽しんだ。
サンフランシスコ名物のクラムチャウダー
サンフランシスコは、なにやらクラムチャウダーが名物っぽいのでフィッシャーマンズワーフの中で一番混んでいたChowders / チャウダーズというお店に行ってみた。
酸味が効いたサワードウ・ブレッドをくりぬいた器の中にクラムチャウダーが入っていて、最高に美味しい!というものではなかったが、あさりもたっぷり入っていて、まずまずのお味だった。
最高に美味いサンフランシスコの朝食屋さん
サンフランシスコの街を散歩していて、ランチタイム時に行列のレストランを発見。
ママズ・オン・ワシントンスクエア / Mama’s on Washington Squareというレストランで、営業時間を見ると朝8時から15時まで。翌朝、朝食を食べてみることにした。
ママズに到着したのは7時40分。開店の20分前なのに、小雨がぱらつくなか、もう並んでいることに驚いた。
何とか一巡目に入ることができ、エッグベネディクトにホウレン草とマッシュルームを添えたエッグフロレンティン、それにオレンジジュースのスモールと、他の人を見るとカウンター横に陳列されていたベリーのスコーンを注文していて美味しそうなのでこれも一緒にオーダー。
まず、オレンジジュースが今まで飲んだオレンジジュースの中で一番美味しくて感動した。とにかく、こんなに上品で爽やかなオレンジジュース飲んだことない。
スコーンも色んなベリーがぎっしりと入っていて最高だし、エッグフロレンティンも期待以上の味だった。会計を済ましてお店から出ると大行列。軽く40人ぐらいは並んでいた。
次回からもサンフランシスコに来ることがあれば、必ず開店20分前に並んでオレンジジュースはラージをオーダーしようと思う。
そしてホテルに戻って、アメリカ西海岸ゴルフの第一ラウンドに向けて出発した。
2012年全米オープン開催のゴルフ場をラウンド
アメリカ西海岸ゴルフの第一ラウンドは2年後の2012年に全米オープンが開催されるオリンピッククラブ。
今までも1955年、1966年、1987年、1998年と四度、全米オープンの会場になり、1860年にサンフランシスコ市内に設立されたアメリカでは最も古い歴史あるアスレチッククラブからスタートしたプライベートクラブである。
そんなアメリカ本土の初ゴルフがオリンピッククラブというのは、とてもありがたい事だった。
コースはレイクコースとオーシャンコースの2つのチャンピオンコースとパー3コースのクリフコースもある。レイクコースは長年、世界TOP100コースにランクインし続けている。
全米オープンはレイクコースで開催され、今回、ラウンドしたのはオーシャンコースだったが、それでも素晴らしいコースだった。
コースメンテナンスは素晴らしいのは当たり前でコースの全体に品格や色っぽさが漂っていた。
レイクコースもこの3年後にラウンドすることになる。その時の話はまた別の機会で紹介したいと思う。
アメリカ本土の初ゴルフが名門オリンピッククラブという素晴らしい経験をした後は、サンフランシスコを後にして、次の目的地のペブルビーチがあるモントレーに移動した。
オリンピッククラブ・オーシャンコースのラウンド記事
憧れのペブルビーチを訪問
モントレーに到着。チェックインして港を散歩。夕食はシーフードをいただいた。
翌朝、ペブルビーチに。
ラウンドできるかわからないが、憧れのペブルビーチの門をくぐるだけでもワクワクした。
ペブルビーチのリザベーション、スターター、プロショップなど考えられるジョニーさんの知り合い全てに話をして、空き枠が出ればすぐに電話をもらうという総動員での空き枠探し。
モントレーに滞在中の三日間の間、空き枠があればラウンドしたかったが、やはりオンシーズンの最後の時期ということもあり、ここ数日は空きが全くないという話だった。
ハーフぐらいならラウンドできるようにすると言ってくれたのだが、どうせなら全ホールをラウンドしたいので、滞在中にダメなら、今回は諦めてまた機会を改めて訪れることにした。
せっかくペブルビーチに来たのでプロショップでお土産を購入したり、敷地内を散策。
練習グリーンの横には、ペブルビーチの絵を売っているお店、キッズ用のゴルフショップやアンティークなゴルフグッズを販売するお店など色んなお店が並んでいた。
ペブルビーチを開発したサミュエル・モースの銅像の両脇には様々な大会の優勝者の名前が刻みこまれているプレートが並んでいた。1番ホールだけでも見ておきたいと思い、1番ティーに。
最後に宿泊施設のザ・ロッジ・アット・ぺブルビーチの中に入ってみた。
ロッジに入るとガラス越しにテレビでよく見た18番ホールが見えた。
あいにくの曇り空だったが、幻想的な雰囲気に感動して言葉が出なかった。
モントレーに滞在するのは明後日まで。
最初はラウンドできたらラッキーぐらいのつもりで訪れたが、この風景を見て、明日と明後日のどちらかにどうしてもラウンドしたいと強く思った。
今日はペブルビーチを諦めて、すぐ近くにあるロバート・トレント・ジョーンズ・Jr.設計のポピーヒルズでラウンドすることになった。
ペブルビーチの森の中にあるパブリックコース
ペブルビーチを後にしてポピーヒルズゴルフコースに移動。
ポピーヒルズはAT&T ぺブルビーチ ナショナル プロ・アマ の会場の1つとしても使用されていたことがあるチャンピオンコース。日本のコース設計でもおなじみのロバート・トレント・ジョーンズ・Jr.が設計した。
開場は1986年。全米ゴルフ協会が所有した初めてのコースで北カリフォルニアゴルフ協会(NCGA)の本部でもある。
この土地は、ペブルビーチを開発したサミュエル・モースが所有していた土地で、1977年にNCGAに売却されてコースが造成された。
途中、小雨がぱらつく中でのラウンド。
途中から雨がきつくなり、16番ホールで雨が土砂降りになったので16番のティーショットを打たずに終了。
広いペブルビーチの森の中に造られたダイナミックでタフなコースで雨の中でのラウンドなのに開放感を感じたコースだった。
ポピーヒルズゴルフコースのラウンド記事
ぺブルビーチからの吉報はランチョカナダのティーオフ前に
今回、アメリカに来て初めての快晴。この日はランチョカナダゴルフクラブというウエストコースとイーストコースの36ホールあるパブリックコースでラウンドすることになった。
アメリカにきてずっと雨が続いていて快晴でのラウンドは初めてなので、ワクワクしながら、ウエストコースの1番ティーで、自分たちのティーオフを待っていると、ジョニーさんの携帯にペブルビーチから電話が!!
どうやら一人だけなら13時のティータイムの枠が空いてペブルビーチをラウンドできるとのこと。
「せっかく来たんだから遠慮せずに」と一緒にラウンドしていた皆さんが。
まだ13時までは時間があるので数ホール、ランチョカナダでラウンドしてから、ジョニーさんの車でペブルビーチまで送ってくれることになった。
昨日の雨の中、無理してラウンドしなくてよかった。
今日、最高の天気でペブルビーチをフルラウンドできることになりゴルフの神様に感謝!
なにより、快くペブルビーチに送り出してくれた皆さんにも感謝!
4番ホールを終えて、いざペブルビーチへ!
海と大地が造り上げたペブルビーチの美
今回のペブルビーチでのラウンドは、半分諦めていたので突然降って沸いたような幸運。
しかも前日までの雨とは打って変わって快晴。
ペブルビーチは開場は1919年でジャック・ネビルとダグラス・グラントのアマチュアゴルファーが共同で設計したコース。あまり聞いたことのない名前だが、これはペブルビーチを開発したサミュエル・モースが当時、コース設計の第一人者であったC・B・マクドナルドに設計を依頼したが、断られたのでモースの部下のネビルを担当させたようだ。
そんな無名の設計家が設計したコース。その後も全米オープンが開催されるたびに手を加えられていっているがこの最高のロケーションを活かしたコースの土台を造った二人の功績は素晴らしいと思う。
同伴プレイヤーは、葉巻が似合うセレブな一人の白人とリタイヤして友人二人でのんびりゴルフに来た初老の二人組の白人との組み合わせだった。
同伴プレイヤーに挨拶をして、夢のペブルビーチをいよいよティーオフ。
1番ホールのティーショットは、今までのゴルフ人生の中で最高にワクワクしたティーショットだった。
3番ホールはセカンド地点から海が見えて、心が躍る。
そして6番ホールからペブルビーチの本領発揮。右には海が続き、二打目が強烈な打ち上げになっているパー5だ。
以前、リー・トレビノはこのホールに来てこんなことを言ったらしい。
「ここは重要なホールだ。もし、君がこのティーに来た時に5オーバーなら、ここが自殺するのに世界で一番適した場所だ。」
トレビノらしい言葉だと思う。
私はもう5オーバー以上叩いていたが、そんな暗い気持ちにならず、天国にいる気分だな。
と思っていたら、よくよく考えたら「ある意味、私も天国に昇天してるという事か」と気づいた。
初老の二人組の一人はこのホール、ギブアップ。ギブアップしていてもニコニコ。
海と大地が造り上げたこの絶景に、スコアなんて気にせずにみんな、笑顔でのラウンドが続く。
カーメルヘル?いや、私はカーメルヘブンだと思う
みんなニコニコ、至福のラウンドが続くペブルビーチゴルフリンクス。
いよいよペブルビーチのシグネチャーホールと言われている7番ホール、8番ホールが登場する。
8番から9番、10番と続くホールは、オーガスタのアーメンコーナーに習い、すぐそばのカーメルの町の名前を用い、しばしばカーメルヘルと呼ばれている。人によっては6番ホールからをそう呼んだりするようだ。
一打一打が生活のかかるプロからするとカーメルヘルだが、いくつ叩いても関係のないお気楽ゴルファーの私にとってはまさにこの景色はカーメルヘブン。
7番ホールは100ヤードぐらいの距離の短いパー3だが風の強いアゲインストの時はロングアイアンでショットする必要もあるクラブ選択が難しいホール。
先ほどの6番ホールでギブアップした二人組の初老の一人はピンの上につけた長めのバーディーパットがスルスルとカップに吸い込まれてバーディー!!
みんなでこぶしとこぶしを合わせてバーディーをお祝い。
そして8番ホール、二打目が海越えのこちらも名物ホールのパー4
ジャック・ニクラスが「生涯最後のショットをするなら、ペブルビーチ8番のセカンドショットを迷わず選ぶだろう」と言ったホール。
私のティーショットは海越えをするのにベストポジションに。一か八かの2オンを狙うか悩んが、絶好調ならいざ知らず、騙し騙しでラウンドしている今、海越えに成功するのはおそらく5%以下。
身の丈にあったゴルフをしようと思い、狙いを一番左のバンカーの更に左のフェアウェイに。
狙いは成功。3オン2パットのボギー。今の私の実力からすると大満足だった。
二クラスが、人生最後のショットするなら、迷わずこのホールのセカンドショットにすると言った理由がわかったような気がする。
私も今まで海越えや谷越えのチャレンジしがいのあるホールをいくつか経験してきた。
たとえば、マウナケアゴルフコースの伝説の海越えの3番ホールと言われているパー3がそうだ。
このホールも最高に興奮したが、ペブルビーチ8番との違いは、まずセカンドショットを打つためにティーショットを最高のポジションに置く必要があるということ。
その上に成り立つ、緊張感のあるセカンドショット。そして絶景の風景。
技量が伴っていると最高に興奮できるホールだと思った。私は運よくティーショットがベストポジションに持って行けたが、グリーンを直接狙えるスキルがなく二クラスが感じれる興奮は味わえなかったが、いつか味わえるスキルを身につけて、このホールに戻ってきたいと思った。
夢の折り返し地点
ペブルビーチでの夢のようなラウンドの折り返し地点に。
引き続き、9番、10番と海沿いのホールが続き、11番ホールからしばらく海沿いから離れていく。
10番のティーに移動する前に売店があるのでちょっと休憩。
葉巻の紳士がバドワイザーを御馳走してくれて、みんなで乾杯。
この景色を見ながらのビールは最高だった。
そして海沿いのホールとはしばらくお別れ。太平洋から一旦離れてここから内陸のホールが続く。
しばらく海岸線とはお別れ
11番ホールから16番ホールまでは内陸のホールが続く。
この11番から16番までがペブルビーチのコースとしての評価をさらに上げていると思う。
それは、コースレイアウトの緩急。
1番ホールは穏やかにスタートしていき、6番から7,8,9番と興奮がピークになり、10番はややクールダウン。そして内陸の11番から再び落ち着いて、17番から太平洋と再会し、また気分が高まる。
ペブルビーチは、感動が緩急ある波のようにダイナミックに伝わるコースなのである。
太平洋と再会、黄金色に輝くペブルビーチ18番ホール
夢のようなペブルビーチでのラウンドも残り2ホール。
17番ホールでは再び太平洋と再会。
このホールは、1982年に行われた全米オープンでトム・ワトソンがグリーン奥からチップインバーディを決めてジャック・ニクラスとの接戦を制して優勝決めた名シーンが有名なホールだ。
そしていよいよ最終の18番ホール。
もう少し、この空間に居続けたい、このままずっと夢が醒めないでいてほしいという少しさみしい気持ちに。
西日で黄金色に染まる18番ホール
同伴者全員が名残惜しそうにしていた。
全員が無事にホールアウト。
同伴者と笑顔で握手をしてペブルビーチでの夢のラウンドは終了。
夢のような最高のひと時だった。
そして次回は、もっと上手くなってもう一度やってきたいと思った。
モントレーのスコティッシュリンクス
夢のようなペブルビーチでのゴルフを終えてもまだしばらくゴルフ旅は続く。
今日はザ・リンクス・アット・スパニッシュベイ。
スパニッシュベイというのは、1769年にスペインの探検家ホアン・ポルトラがモントレー湾に教会と要塞を建てる場所を探しているときに上陸した場所なので名付けられた。
ペブルビーチ内のゴルフ場としては1987年開場と新しいコースになる。
設計はR・T・ジョーンズJr.、リンクスを得意としているトム・ワトソン、元USGA会長のフランク・サンディ・テイタムの共同設計。(三人ともゴルフの名門スタンフォード大学出身というつながりだ)
全英オープン5勝でリンクスを熟知しているトム・ワトソン。
USGAのチャンピオンシップ委員会のメンバーで、主にコース選定、セッティングを担当していたコース通のテイタム。
この二人のアドバイスを活かしてジョーンズJr.が彼らが思い描くスコティッシュリンクスを具現化したのがスパニッシュベイ。
スパニッシュベイは環境保護を第一に考えていて、自然破壊を一切許さずに設計されている。
芝はスコットランドからフェスキュー芝を輸入して移植してされていてモントレーに本場のリンクスコースを再現したコース。
派手さはないが、自分のゴルフの実力がわかるタフなコースだった。
ザ・リンクス・アット・スパニッシュベイのラウンド記事
Poor man’s Pebble Beach/貧乏人のペブルビーチ
スパニッシュベイをラウンドして次の朝、モントレーを後にして目指す地はサンタバーバラのサンドパイパーゴルフクラブ。
開場は1972年。
設計はハワイのコナカントリーやマカハヴァレーなどの設計をしているウィリアム・F・ベルが担当。
このサンドパイパーは「Poor man’s Pebble Beach(貧乏人のペブルビーチ)」とも呼ばれている。
ペブルビーチのように豪華さはないが、太平洋沿いの景観のよいゴルフ場で、特にインコースはレイアウトも風景もワクワクするホールが続いて楽しめた。
何より、ペブルビーチ、スパニッシュベイとしびれるコースが続いたので、開放的なサンドパイパーは気分を落ち着かせるのにはちょうどよかった。
サンドパイパーゴルフクラブのラウンド記事
キクユ芝とポアナ芝が曲者のホーガンズアレー
そして、アメリカ西海岸の最終ラウンドはザ・リビエラカントリークラブでのラウンド。
リビエラカントリークラブは過去に全米オープン1回、全米プロ2回、全米シニア1回が開催され、1929年から始まったLAオープン(現:ジェネシス・インビテーショナル)は毎年継続して開催されている。
もちろん、世界TOP100コースにもずっと20位前後でランクインしている。
1927年開場。設計はロサンゼルスの名門、ロサンゼルスカントリークラブやベルエアカントリークラブなども設計しているゴルフコース設計の黄金期に活躍したジョージ・C・トーマスが担当。
この旅のゴルフの最後を飾るには素晴らしいコースだった。
リビエラには特徴のあるホールがいろいろあるが、その中でも特に有名な2つのホールを紹介する。
全米でもっとも偉大なパー3
4番ホール 236ヤードのパー3
昔、ベン・ホーガンが得意としていたコースだったのでリビエラCCは別名「ホーガンズアレー」と呼ばれていて、館内にはベン・ホーガンの写真やグッズが陳列されていた。
そのベン・ホーガンが1948年にLAタイムスのインタビューで「アメリカで最も偉大なPar3ホール」と評したパー3
グリーンの前方には巨大なバンカーがあり、右側には広いレイアップするための空間がある。
これはスコットランドにあるノースベリックの15番、パー3のレダンをトーマスがアレンジしたホール。
世界中のゴルフコースには、スコットランドの古いコースの特徴あるホールを模倣して造られているホールがある。レダンホールは世界で一番コピーされているホールだが、このレダンを初めて経験し、オリジナルのノースベリックのレダンをいつか見てみたいと思った。
ニクラスが絶賛したTHE BEST SHORT PAR 4の10番ホール
10番ホール 315ヤードのパー4
プロなら1オンも可能の距離の短い、いわゆるドライバブルパー4と呼ばれるホールだ。
ジャック・ニクラスが「このホールは私が知りうるどんな短いパー4よりも多くの選択を考えさせられる」と評価したホールである。
ブルーティーから正面に見えるバンカーを越えるにはキャリーで200ヤードあれば越えることができ、一方、250ヤードで左奥のバンカーに入るので確実に左のフェアウェイを狙うのも攻め方の一つだ。
距離が短い分、いろんな攻め方ができるので攻略ルートを考えるのに迷いが生じることもあるのが評価されているのだと思う。
リビエラCCでのラウンドを終えて、設計したジョージ・C・トーマスの事が気になり、いろいろと調べていくことがきっかけで世界中のゴルフコースの設計家について興味をもつことになった。
この旅で得たもの
世界中のゴルファーと繋がり、ゴルフ旅の沼にハマるきっかけになったのは、ペブルビーチを訪れたことが大きな転機になった
と冒頭で述べたが、この旅で、いろいろな刺激を受けて多くの感動を得ることができた。
オリンピッククラブでは、「アメリカのプライベートクラブの凛とした空気感」
ポピーヒルズでは、「日本とは違うスケール感があるコースの素晴らしさ」
ペブルビーチでは、「良いゴルフコースのレイアウトには感動のリズムが重要だということ」
スパニッシュベイでは、「タフなレイアウトから自分のゴルフのスキルアップの必要性」
サンドパイパーでは、「プライベートコースにはない開放的なパブリックコースの良さを再確認」
リビエラでは、「レダンなどレイアウトのテンプレートとゴルフコース黄金期の設計家への好奇心」
他にも多くの刺激を受けた旅だった。
これがきっかけで、もっと世界中のゴルフコースを旅したいと思い、ゴルフバカへの道を突き進んだ。
そして、現在も終わりのない旅を続けている。