第九話「エメラルドの島、アイルランドゴルフ旅」

序章.エメラルドの島、アイルランドへ

世界中の名コース巡りを始めて6年目に入った。

世界中の様々な時代のコースをラウンドしてきて、満を持して1年前にスコットランドにゴルフ旅に。

スコットランドのリンクスを訪れた時の感動はずっと鮮明に心に残ったままだ。

スコットランドへの旅を終えて、すぐに一年後の同じ時期のゴルフ旅の目的地をアイルランドに決めた。

スコットランドがあるグレートブリテン島のすぐ西のアイルランド島にも素晴らしいリンクスがあると言われてるのが決めた理由である。

アイルランドは緑が豊かな島でエメラルドの島とも呼ばれている。

Setanta Saki, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

アイルランドはイギリス領の北アイルランド周辺の島の北部のアルスター、ダブリンを含む島の東部のレンスター、島の北西部のコノート、島の南西部のマンスターの4つの地方に分かれている。

旅の行程は、アイルランド共和国の首都ダブリンから始まり、国境を越え、北アイルランドのアルスター地方へ、再びアイルランド共和国に戻り、東部のレンスター地方。そして南西部のマンスター地方からコノート地方と移動して最後にダブリンに戻るという15泊の行程だった。

ラウンドしたゴルフ場は、ジ・アイランド、ロイヤルカウンティダウン、ロイヤルポートラッシュ・ダンルース、カウンティラウス、ヨーロピアンクラブ、Kクラブ、マウントジュリエット、オールドヘッド、ウォータービル、トラリー、バリーバニオン・オールド・カシェン、ドゥーンベッグ、ラヒンチ・オールド、カウンティスライゴー、ロイヤルダブリンと17ラウンドしてきた。

(※この旅は2016年に訪れたアイルランドへのゴルフ旅を読みやすくまとめなおしました。スマホの場合は縦画面だとゴルフコースの写真のキャプションが画像に被ることがあるので、その場合は横画面にすると写真が見やすくなります。)

目次

今回の旅で移動したルート

アイルランドとイギリスの歴史的な関係を簡単にまとめておく。

アイルランドは12世紀からのイングランドの侵攻により部分的な支配が続き、1541年以降はアイルランド王国と名乗るが実質はイングランドの支配下に置かれたままで、17世紀後半には完全にイングランドの属国になった。そして1801年には合同法によりグレートブリテン及びアイルランド連合王国としてアイルランドはイギリスに完全に併合された。

そして1922年にアイルランド島の全32州のうち南部、西部の26州が連合王国から分離して、アイルランド自由国を建国し、1937年に憲法公布、1949年にアイルランド共和国を宣言するまで7世紀もの間、イギリスの支配を受けていた。

アイルランド王国の国旗
TRAJAN 117  This W3C-unspecified vector image was created with Inkscape ., CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

このようにアイルランドは王国と名乗ってはいたが、実質はイギリスの植民地のような扱いを受け、アイルランド島で生産された小麦・オート麦や家畜はイギリスに輸出され、アイルランド国民は観賞用として導入されたジャガイモを主食にせざるを得ない状況に追い込まれていた。

そんな中1845年から5年程続いた、ジャガイモの伝染病による不作で起こったジャガイモ飢饉と呼ばれる大飢饉の間もイギリス本国からの支援も得られない厳しい生活を送り、飢餓で150万人が病死し、200万人が国を離れた。

ダブリン市内のジャガイモ飢饉の追悼像
Kathrina Schmidt, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

一方、ゴルフは17世紀初頭から始まったアルスター地方へのイギリスの移民政策でアイルランドに伝わった。最初はイギリスからの移民した者だけの楽しみだったものがアイルランド人のゴルファーも増えて1927年には第一回のアイリッシュオープンが開催。1947年にはアイルランド人が初優勝とアイルランド人にもゴルフ文化が広がっていき、現在、アイルランドではゴルフは「スコットランドからの贈り物」とまで言われるようになっている。

1998年にベルファスト合意により和平が成立し、イギリスとの関係は安定はしてきているが、過去の歴史を辿ると複雑な関係の両国ではある。

1章.アイルランド共和国の首都ダブリン

アイルランド初日

アイルランドゴルフに出発。

直行便がないので今回は関西国際空港からドイツのルフトハンザ航空に乗り、フランクフルト経由でアイルランド共和国のダブリンに移動することにした。

ドイツのフランクフルト空港を出発して約二時間でアイルランド共和国のダブリンに。

アイルランドが見えてきた。

手前に見える小さな島はダブリンの東に浮かぶランベイ島。

機内から見るアイルランド

着陸前にジ・アイランドゴルフクラブポートマーノックホテル&ゴルフリンクスを機内から見ることができた。

写真左の中央に見える砂嘴にあるのが、明日、ラウンドするジ・アイランドゴルフクラブ。

写真右がポートマーノックホテル&ゴルフリンクス。最終日の午前中にラウンド予定だったが、前日の夜にレンタカーにトラブルが発生し、こちらのコースはラウンドすることができなくなった。(設計:ベルンハルト・ランガー、開場:1995年)

今日から16日間のアイルランドゴルフ旅がいよいよ始まる。


ダブリン市内のホテルにチェックイン。アイルランド初日のディナーはギャラハーズ・ボクスティハウス

アイルランドのビールと言えばギネスだが、ギネスはこの後、ダブリンで一番美味しいギネスが飲めるバーで楽しむので他のビールをオーダー。

まずは最初の一杯は、マーフィーズアイリッシュレッド。マーフィーズはアイルランドの南にあるコークの醸造所なのでダブリン市内では飲めるお店が限られているようだ。モルトの風味を楽しめるレッドエールだった。

今夜は、北部の田舎料理のボクスティとダブリン名物のダブリンコドルをいただくことにした。

ダブリンコドルはポークソーセージとベーコンとポテトのスープ

2杯目はスタウトのビーミッシュ。こちらも南部のコークで醸造されている。南部ではギネス以上に人気のあるスタウト。

ボクスティはジャガイモのパンケーキ。アイルランド北部や内陸部で食べられていた郷土料理。じゃがいものパンケーキの間には牛肉が挟まれていた。ソースはマッシュルームとアイリッシュウイスキーの黒コショウ風味のソース。

ボクスティ(Boxty)という名前由来はアイルランド語のarán bocht tí(貧しい家のパン)からつけられている。

デザート代わりに、コーヒーリキュールのティアマリアにベイリーズをトッピングしたベイビーマーフィーズベイリーズはアイリッシュウイスキーを使用したクリーム系のリキュールで私は自宅で、時々コーヒーに入れて飲んでいる馴染みのリキュールだ。

この後は少し散歩してから、べルリンで一番美味しいギネスが飲めると言われているパブに行ってみることにする。


ダブリン市内のテンプルバーと呼ばれるダブリンの文化・芸術の発信地区を散歩してみた。

テンプルバーの名前の由来は16世紀にこの地区を所有していたテンプル卿の名前から呼ばれるようになった。ちなみに、テンプルバーのバーは酒場のバーではなく、川沿いという意味のバーである。

アイルランド銀行の旧本店は、1792年に建てられてアイルランド自治議会の議事堂として1800年に大英帝国に併合されるまで使用されていた。

アイルランドの街を歩いて気づいたのがとにかく花が多い。ダブリンだけでなくこの後2週間アイルランド中を巡ったが、どこの町も花が多かった。


アイルランド初日の夜の締めはダブリンで一番美味しいギネスが飲める1782年創業、アイリッシュパブのマリガンズに。

お店は常に満席。音楽が流れているわけでもなく、料理もなく、あるのはお酒とスナック類のみ。

これがパーフェクトパイントと呼ばれる最も美味しい注ぎ方をしたギネス。注いでから2分ほど待って泡が集まってから飲むのが美味しい飲み方。ここから、もう少し待つのがベスト。

クリーミーでまろやかな最高のギネスだった。

翌日からアイルランド島内を2週間かけて一周するのだが、ダブリンに戻ってきた最後の日にも、この一杯の味が忘れられずに再訪。この時は昼過ぎだったので客も少なく空いていた。

いつかダブリンに戻ってきたら、必ずこのパブに最高のギネスを飲みにやってくると思う。

アイルランド2日目

アイルランド2日目。

今日はアイランドゴルフクラブを昼からラウンド。時間があるのでドライブに。

ダブリンから南に海沿いに移動。最初に到着したのはダンレアリーという港町。

アイルランドの主要港のひとつで、ウェールズのホーリーヘッドに向かうフェリーが運航されている。続いて、ジェイムス・ジョイス・タワーに。この塔はマーテルロータワーとも呼ばれてナポレオンの侵略に備えてイギリス軍が建てた見張り台でアイルランドの東側に15か所建てられた。

塔の横にはフォーティーフットビーチという海水浴場があり、朝早くて寒いのに海水浴をしている人たちがたくさんいた。アイルランドのお年寄りが泳いでいた。アイルランドでは冬でも泳いでいる人がいるらしい。特にクリスマスには寒中水泳の伝統があるのだとか。

タワーはアイルランドの作家のジェイムス・ジョイスの博物館として使用されていて、彼が執筆したユリシーズにもこの塔での出来事が出てくる。

もう少しだけ南に向かい、ドーキーという町に到着。

この町で朝食をと思ってやってきたが、朝食が食べれそうなお店を見つけることができず、ダブリン市内に戻って朝ごはんを食べることにした。


朝食はダブリン市内のクイーンオブタルツというカフェで。

スモークアイリッシュサーモン・スクランブルエッグ添えに自家製のソーダブレッドをいただいた。

ソーダブレッドはアイルランドの伝統的なパンで、イースト菌の代わりにベーキングパウダー(重曹)を使用して発酵させずに短時間で製造するパンである。食感はパサパサとしたパンだった。


朝食の後は、アイルランド最古の大学のトリニティカレッジに行ってみた。

1592年にエリザベス1世によって創設された。

こちらのオールドライブラリーの中に転じされているケルズの書を見に行ってみた。

ケルズの書は撮影不可だったので六日後にラウンドしたKクラブのクラブハウスの中にケルズの書のレプリカが展示してあり、こちらは自由に撮影してもよかったのでその写真を掲載しておく。


ランチは、テンプルバーの中にあるオシェイズ・トラディショナルアイリッシュレストランというアイルランド料理屋さんに。

アイリッシュシチューをオーダー。

マトンやラムとジャガイモ・にんじんなどの野菜を水からじっくりと煮込んだシチューで、しっかり羊臭さがあるシチューだった。
私は好きだが、羊臭さが苦手な方はダメかもしれない。

そろそろゴルフの時間なのでゴルフ場に向かう。

世界一狭いフェアウェイがあるリンクス

アイルランドゴルフの第1ラウンドは、ジ・アイランドゴルフクラブ

開場は1890年。最近の研究では1898年または1899年の可能性もあるという。

コースのオリジナルの設計者は不明だが、フレッド・ハウツリーエディ・ハケットが改造し、その後、マーティン・ハウツリーも改造して現在の状態になっている。

アイランドゴルフクラブと名付けられているが島ではなく、海流により運ばれた砂が長年に渡り堆積して作られた砂嘴(さし)に造られている。今はゴルフコースには車でたどり着けるが、1973年まではボートでしかアクセスできなかったようだ。

マラハイドという対岸の町からゴルフ場に行くのにボートを使って島に渡るように移動していたので、そのように名づけられたのだとか。

クラブのロゴマークにもボートの絵が描かれている。

このゴルフクラブはロイヤルダブリンゴルフクラブの民間人のメンバー10名が立ち上げた。当時のアイルランド島のゴルフコースはイギリス軍がほとんど関係していて日曜日は民間人のメンバーはラウンドできない不自由さがあった。ロイヤルダブリンもその1つだった。民間人も日曜日に自由にラウンドできるゴルフクラブを作ろうということで立ち上げたのがこのゴルフクラブである。

古いクラブハウスはマラハイドから渡る船が着岸しやすいように岬の突端に造られていたが、1973年に道路が整備されてクラブハウスが現在の位置に移動してホールナンバーがずれて今のレイアウトになった。

現在の13番ホールがかつての18番ホールで現在の14番ホールがかつての1番ホールとローテーションするようにずれていて、現在の14番ホールは距離の短いパー4で右は入り江。世界一狭いフェアウェイのホールと言われてる。

スタートホールから方向性を気にしながら慎重になる旧1番ホールはスコットランドのプレストウィックGCの右サイドがすぐに線路の1番ホールを思い出した。


アイルランド二日目の夜はテンプルバーにあるアイルランド料理のザ・シャックレストランに。

喉を潤すために冷えたバルマーズアイリッシュサイダー(シードル)を。

今夜はアイルランド料理のベーコン&キャベツをいただいた。

ベーコンというよりハムのような分厚いベーコンと茹でたキャベツにパセリ入りのクリームをかけた食べ物。

これが本当に美味い。お気に入りのアイルランド料理の1つになった。

二杯目は、オハラズ・スタウト。しっかりとローストされた香りがした。

     
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