2012年10月に、ひょんなことからアメリカ中西部にゴルフに行くことになった。
アメリカ西海岸ではゴルフは何度もしていたが、そこより東でゴルフしたことはまだなく初めての中西部へのゴルフ旅だった。
旅のきっかけは2ヶ月前に遡る。
そのきっかけの話からしたいと思う。
マウイ島での偶然の出会い
2012年8月にマウイ島のマケナゴルフコースを一人でラウンドしに行った時にたまたまジョイントで一緒になったシカゴ在住のアメリカ人のランディ。
朝一のトップスタートで、サッとプレイを終えて、その後は家族サービスしようと思っていたらランディも同じ考えだった。
私は英語は片言でしか話せないが、ラウンドしながらランディと交流を深めた。
誰にも邪魔されない二人だけの早朝のマケナゴルフコースのラウンドは、爽やかで気持ちの良いラウンドだった。
私が「いろんなゴルフ場を旅して巡るのが好きだ」と伝えるとランディは「ぜひ自分のホームコースに遊びに来て欲しい」と誘ってくれたのだ。
「ホームコースはどこなの?」と聞くと、「イリノイ州のオリンピアフィールズだ」という。
「え!!あの、オリンピアフィールズ?!」と驚いてしまった。
驚いた理由は、
オリンピアフィールズは、2003年に全米オープンの会場になったイリノイ州の名門コースで、私の愛読書の世界の偉大な500ホールを紹介している「The 500 World’s Greatest Golf Holes」にも14番ホールが紹介されているコースなのだ。
ラウンド後、お互いの連絡先を交換して、再会を約束してその日は別れた。
そしてメールで連絡を取り合い、トントン拍子で2カ月後の10月にシカゴを訪れることになった。
せっかくイリノイ州を訪れるなら、その周辺のゴルフコースもラウンドしておきたいので、北上してウィスコンシン州にあるゴルフマガジン社の世界TOP100コースや全米TOP100コースにランキングされているエリンヒルズ、ウィスリングストレイツ、ブラックウルフランもラウンドすることにした。
初のシカゴ
ランディとの偶然の出会いから2カ月後、初のシカゴへ。
マグニフィセントマイルにあるホテルにチェックインしてシカゴの街を散策することにした。
シカゴは近代建築の宝庫と言われていて街中を歩いているだけで心躍る。
街には近代的なビルと歴史のあるビルが混在していて面白い。
チェイスタワーの下の広場にはシャガールのモザイク画の「四季」が展示されていたり、リチャード・デイリー・センターの前にはシカゴ・ピカソと呼ばれるパブロ・ピカソ制作の彫像があった。
シカゴの町にはこのようにパブリックアートが街のあちこちに展示されていた。
シカゴの街の散策を終えて次はシカゴ美術館に。メトロポリタン美術館、ボストン美術館とともにアメリカ三大美術館と呼ばれているのでせっかくなので、立ち寄ってみた。
シカゴ美術館で一番有名なのはスーラの「グランド・ジャット島の日曜日-1884」だと思うが、その他も素晴らしいコレクションが展示されていた。
そして、私が一番楽しみにしていたのは、この作品。シャガールの「アメリカの窓」
作品の前にベンチがあったのでしばらく座りながら鑑賞した。ずっと眺めていられる素晴らしいステンドグラスだった。
シカゴ名物を食べ歩き
ランチは、シカゴ名物の1つのバーベキューリブをいだだいた。
別にシカゴでなくてもアメリカ中どこでも食べられるんじゃないか?と思うが、シカゴは1970年頃まで全米最大の豚の屠殺場があり、「HOG BUTCHER TO THE WORLD(世界の豚肉屋さん)」と呼ばれて食肉業界の中心だったので、その名残で豚のバーベキューリブが有名なのだそうだ。
カーソンズというステーキ・バーベキュー屋さんで「BBQベイビーバックリブのハーフサイズ」をオーダー。
お腹側のスペアリブより、背中のロース部分のバックリブの方が肉の旨みが凝縮されていて、やみつきになる美味しさだった。
もう1つ食べておきたい名物があった。それはシカゴスタイルのホットドック。
SuperDawg(スーパードッグ)というお店でいただいた。
ケシの実が振りかけられた薄いバンズにビーフ100%の熱々ソーセージとオニオンのみじん切りが挟まれている。
シカゴスタイルのホットドッグの特徴はマスタードのみでケチャップなし。ケチャップを使うのは子どもだと言われている。
確かにオニオンのみじん切りの爽やかさを感じるにはケチャップは不要な気がした。
そして夕食はこれまたシカゴ名物のディープディッシュピザをピッツェリア・ウノで。
シカゴのディープディッシュピザはその名のとおり深いお皿のように分厚いピザになっている。
このピッツェリア・ウノというお店が1943年に考案したのが発祥で、その後ほかの店も真似するようになり広がったらしい。
そしてホテルに戻る前に昼間に歩いた、ジョンハンコックセンターの96階のラウンジバーに行って夜景を楽しみながら、シカゴということでジンとスコッチのカクテルのシカゴマティーニを楽しんだ。
いよいよ明日はオリンピアフィールズでランディとの再会だ。
シカゴのプライベートクラブ、オリンピアフィールズ
イリノイ州のオリンピアフィールズカントリークラブ(1915年設立)
ノースコースとサウスコースの36ホールあり、1928年と2003年に全米オープン、1925年と1961年には全米プロも開催された歴史あるイリノイ州で3本の指に入る名門コース。
今回ラウンドするノースコースは、第一回の全英オープンの優勝ウィリー・パークの息子で自身も全英オープンを二度制しているウィリー・パークJr.が1923年に設計。
ウィリー・パークJr.が設計した他のコースにはサニングデールゴルフクラブがあり、カーヌスティーゴルフリンクスやガランゴルフクラブの改造なども手がけている。
ランディーとクラブハウス前で待ち合わせ。
到着して、巨大なクラブハウスに驚いた。1925年に130万ドルをかけて造られたらしい。
まずはクラブハウス内をいろいろと案内してくれて、ジャック・ニクラスが1968年のウェスタンオープンで優勝したときのスコアカードなど貴重な展示物を見学。
そしてクラブチャンピオンのボードのところに行き、「私の名前があります」と教えてくれてみると1992年のところにランディーの名前が。
マウイ島で一緒にゴルフをしていてゴルフが上手だなと思っていたが、まさかクラブチャンピオンと一緒にラウンドしていたとは。。
その後もランディは案内続けてくれて、オリンピアフィールズはかつてファーストコース(1916開場、トム・ベンデロー設計)、セカンドコース(1918年開場、ウィリアム・ワトソン設計)、サードコース(1920年開場、ベンデローとワトソン共作)、フォースコース(現在のノースコース)と4つのコースがあったことも教えてくれた。
クラブハウス見学を終えて、ノースコースをラウンドした。
オークツリーに区切られたコースは紅葉が始まっていて、とても美しかった。
コースは美しさだけでなく、敷地内に流れるバターフィールド川を巧みに活かして設計されているし、バンカーも効果的に配置されていてショットの精度が必要な素晴らしいコースだった。
そして、私の愛読書「The 500 World’s Greatest Golf Holes」のThe Five Hundredに選ばれているシグネチャーホールの14番のティーボックスに立った時の感動は今でも忘れない。
何の伝手もなかったアメリカ中西部の名門プライベートコースの憧れのあのホールが目の前にあるのだ。
狭いフェアウェイにティーショットはクリーク越えで、そのクリークがコース右側に沿って続き、再びグリーン手前でコースを横切ってるタフなホールで、私はボギーでホールアウトするので精一杯だった。
ランディとの楽しいラウンドはあっという間に時間が過ぎた。
ラウンド後、クラブハウス内でランディと食事をして再会を約束してお別れ。
ランディとは、この後もシカゴを訪れた時に会ったり、私の友人がオリンピアフィールズをラウンドしたい時にホストをお願いしたりした。この文章を書いていて久しぶりに会ってみたくなった。元気にしているだろうか。
次の目的地のイリノイ州の北側にあるウィスコンシン州に移動した。
ウィスコンシン州へ
イリノイ州からウィスコンシン州に移動。シカゴからミシガン湖沿いにハイウェイをミルウォーキーまで北上。
ミルウォーキーからは西に。デラフィールドという田舎町で今日は宿泊。
ザ・デラフィールドホテルという小さなホテルにチェックイン。雰囲気がとてもいいホテルだった。
夕食はホテル内のアンドリューズというレストランに。
ワインセラーもあり、田舎町のホテルのレストランと思えない、立派なレストランで食事も美味しく感動した。
エリンヒルズゴルフコース
アメリカ中西部ゴルフの第二ラウンドは、ウィスコンシン州のエリンヒルズゴルフコース。
2017年の全米オープンの開催コースに決定していて2013年には全米TOP100コースにもランクインしたパブリックコースだ。
開場は2010年。設計はマイケル・ハードザンとダナ・フライとロン・ウィッテンの共作。
三人が広大なエリンヒルズの土地に造ったゴルフコースは360度視界が広がる壮大なコースに仕上がっていた。
さすが、全米オープンの会場に決定しているだけあり、スケールの大きい距離もしっかりあるタフなコースだった。
続いて目指す目的地は2010年に全米プロが開催されたばかりのウィストリングストレイツ。
ピートダイ設計のコース。彼のコースはタフなコースが多いので今から楽しみで仕方ない。
ウィスリングストレイツ
ミルウォーキーから北上すること55マイル。
シボイガンカウンティのコーラーという街に到着する。コーラーという浴槽や洗面台などの水回りの陶器を製造販売する企業の名前がそのまま街の名前になっている。
そのコーラー社がこの街のシボイガン川沿いにブラックウルフランというリゾートコースをピート・ダイ設計で1988年にオープンさせ、その成功の元、10年後の1998年にシボイガンの北側のミシガン湖沿いに造った2つめのリゾートコースがウィスリングストレイツになる。
設計はブラックウルフランと同じくピート・ダイ。
ウィスリングストレイツにはミシガン湖沿いにルーティングされたストレイツコースとそのストレイツコースの内側に造られたアイリッシュコースの2コースあり、まずは午前中はアイリッシュコースをラウンドした。
羊と共生するゴルフコース
アイリッシュコースはストレイツコースの開場2年後の2000年に開場されて、ピート・ダイがその名の通りアイルランドの草原や砂丘をイメージして造った。
コース内には羊が放牧されていた。スコットランドのリンクスのバンカーは元々、放牧されていた羊達が風よけで掘った穴がバンカーになったということもあり、このウィスリングストレイツでもそれにならって放牧されているようだ。
クリークとドッグレッグを巧みに活用したタフなコース。
そして、羊と共生している素敵なコースだった。
汽笛が鳴る海峡沿いにあるコース
アイリッシュコースをラウンド後、メインコースのストレイツコースに。
Whistling StraitsとはWhisleが口笛や汽笛という意味で、ここではWhistlingは汽笛を鳴らすという意味に使われていて、Straitsは海峡なので「汽笛が鳴る海峡」という意味なのだろうか。
ミシガン湖は濃霧が出ることが有名なので、この周辺を船が通過するときには汽笛を鳴らしていることから名付けられたのかもしれない。
ストレイツコースはミシガン湖沿いにあるのでリンクス風のコースに仕上がっていた。
ストレイツコースの開場は1998年で、2004、2010、2015年に全米プロが開催された。
このコースは1200個ものバンカーがあることで知られていて、特に2010年全米プロの最終日にダスティン・ジョンソンがバンカーと思わずにソールしてしまい2打罰で優勝を逃したことで更に有名に。
バンカーにかなり苦しめさせられたが、海のように広大なミシガン湖を横に見ながらのラウンドは、とても気持ちよかった。
12番ホールは、「The 500 World’s Greatest Golf Holes」のThe Five Hundredに選出されている。
一日2ラウンドしたこともあり、ホールアウトしてしばらくしたら日が沈んだのでディナーはクラブハウスで食べる事にして、ラムラックのグリルをいただいた。
夜はコーラー社が経営しているアメリカンクラブに宿泊。快適な宿泊施設だった。
ブラックウルフラン
ウィスコンシン州コーラー、二日目はブラックウルフランをラウンド。
ブラックウルフランにはリバーコースとメドウバレーズコースの2つがあり、午前中はリバーコースをラウンド。どちらもピート・ダイの設計。
ブラックウルフランは1988年に18ホールで開場して、翌年に9ホールを増設、そして更にその翌年にも9ホールが増設されて36ホールになり、リバーコースとメドウバレーズコースに分割。
1998年と2012年に全米女子オープンが開催され、この時の使用コースは開場時のオリジナルの18ホールで開催され、2つのコースのコンポジットになっている。
鮭の遡上が見られるリバーコース
ブラックウルフランのコースもシーボイガン川が蛇行するようにコースに沿って流れているがリバーコースはその名のとおり、川沿いのホールが多く、秋だったこともあり、川には遡上している鮭の姿を多く見ることができた。
1番、5番ホールは「The 500 World’s Greatest Golf Holes」のThe Five Hundredに選出されている。
シーボイガンの川と森の木々と起伏を上手く使った攻略しがいのあるコースだった。
牧草地に造られたメドウバレーズコース
昼からはもう1つのコース、メドウバレーズコースをラウンド。
18番は「The 500 World’s Greatest Golf Holes」のThe Five Hundredに選出されている。
メドウバレーズコースのフロントナインはその名のとおり、平坦な牧草地に造られたのでリバーコースに比べて広々とした印象だった。
バックナインは、川や谷をうまく活用したタフなコースという2つの表情を持つコースだった。
ウィスコンシン州での三日間のラウンドを終えて再び、イリノイ州のシカゴに戻る。
その前にブラックウルフランのクラブハウスで遅いランチを食べてから移動することにした。
スタッフドチーズステーキをいただいたのだが、これが最高だった。
ローストビーフ、ローストポークと玉ねぎ、マッシュルームをパンに詰めてチェダーチーズとスイスチーズとマヨネーズを乗せてオーブンで焼いたもので、肉、チーズの旨みがギュッと凝縮された素晴らしい一品だった。
再びシカゴへ
再び、150マイルほど南下して、シカゴに戻った。
コグヒルゴルフ&カントリークラブ
今回のゴルフ旅行の最終ラウンドはシカゴのパブリックコースのコグヒルゴルフ&カントリークラブ。
コグヒルは#1~#4の4つのコースがあり、その中で#2はRAVINES、#4はDUBSDREADというニックネームがつけられている。今回、ラウンドするのは、#4 DUBSDREAD。
#4は2012年の全米のリゾート・パブリックコースTOP100の21位にランキングされていてイリノイ州のNo.1パブリックコースでもある。
DUBSDREADの意味はDUBがゴルフ俗語で下手なプレイヤーという意味で、DREADが恐怖。つまり下手なプレイヤーが恐れるコースというところだろうか。
フロリダのオーランドにあるDubsdread Golf Courseから名づけられた。
開場は1964年。(コグヒル自体は#1、#3が1927年にオープン)
設計はディック・ウィルソンとジョー・リー。ウィルソンは#1と#3の改造を1963年にも行っていて他に設計したコースではTPCブルーモンスターatドラルなどがあり、日本でも有名なロバート・ボン・ヘギーの師匠でもある。ウィルソンは完成の前に亡くなり、それを引き継いだのがリー。
このコースを2008年にオープンドクターことリース・ジョーンズが改造を行った。
過去にはウエスタンオープン(1991~2006年)、BMWチャンピオンシップ(2007、2009~2011年)なども開催。
16番ホールは「The 500 World’s Greatest Golf Holes」のThe Five Hundredに選出されている。左ドッグレッグのパー4でコースが左に傾斜していて、とても良いホールだった。
バンカーが効いていて距離もあり、手応えのあるこれぞモダンアメリカンコースという素晴らしいコースだった。
シカゴNo.1のステーキハウス
アメリカ中西部ゴルフの旅の最後の夜はシカゴでステーキを食べることにした。
シカゴNo.1といわれているステーキハウスのシカゴ チョップハウスに。
店内は歴史ある写真が飾られていた。アル・カポネも食べに来ていたのだとか。
スープのロブスタービスクは濃厚なロブスターの旨みにトリュフオイルの香りが素晴らしい一品。
メインのステーキのドライエイジドビーフは、50日前後熟成していて旨みが凝縮されていて香りも素晴らしかった。
ヤギの呪いで有名なお店
帰国する前に立ち寄って食べたい名物ハンバーガーがあるので帰国する日の早朝に訪問してみた。
ビリー・ゴート・ターバンというパブレストラン。この店はヤギの呪いで有名なお店。
ヤギの呪いとはシカゴ・カブスの熱狂的なファンであったこの店のオーナーのビリーにまつわる話。
ビリーはいつも可愛がっていたペットのヤギを連れてカブスの試合を観戦に行っていたのだが、1945年のワールドシリーズ第4戦(2勝1敗でカブスがリード)に限ってヤギが臭いという理由で入場を拒否されたことにビリーは激怒して、「カブスは二度とワールドシリーズに出られないだろう」というセリフを残して球場を去った。
その後、球団は低迷することになり、それはこの時のヤギの呪いではないかと言われ続けていた。
※この旅の4年後の2016年にカブスはついにワールドシリーズを制して108年ぶりに世界一になった。
現在はこのお店は、そのヤギの呪いを前面に押し出し、国内で8店舗も営業する人気店に。
本店は早朝6時から深夜2時(土曜日は3時まで)まで営業していて地元の新聞社のジャーナリストのたまり場となっている。
名物のチーズバーガーをいただいた。3ドル以下で食べれるハンバーガーとしては十分な美味しさだった。
ゴルフコース黄金期の素晴らしさの再確認
マウイ島で一人でラウンドしたときに偶然にジョイントして仲良くなったシカゴ在住とのランディとの出会いがきっかけで始まり、イリノイ州、ウィスコンシン州と移動をしたアメリカ中西部ゴルフ旅。
都会と広大な農業用地が共存し、フレンドリーな人々が住む心地よい場所で、アメリカのハートランドと呼ばれているのが良く理解できた素晴らしい旅になった。
ゴルフに関して言えば、最初にラウンドしたオリンピアフィールズノースコースが1923年に造れられたゴルフコースの黄金期(1910~30年代)のいわゆるクラシックコースに対して、コグヒルは1960年代、ブラックウルフランは1980年代のモダンコース、ウィスリングストレイツ、エリンヒルズは1990年代後半以降に造られたモダンクラシックコースで、それぞれの世代のコースの違いについて肌で感じることができた。
コース設計の流行の違いを感じることができたし、それぞれの世代の良さはあるが、もっとゴルフコース黄金期のクラシックコースについて知りたくなった旅でもあった。