昼ごはんの鶏飯を食べた後は、そのまま58号線を進み名瀬市街に移動。
奄美サンプラザホテルにチェックイン。
チェックインしてすぐに奄美郷土研究会の会長の大津幸男さんに電話。
奄美に行く前に電話をして先祖を探していること、その情報を奄美郷土研究会のWEBサイトで情報を入手したことを伝えて、奄美に行ったら連絡しますと伝えていました。
祖母の旧姓の加勇田を名乗っている末裔の方の情報が得られたとのことなので大津さんに会いに行くことに。
場所を聞くと小宿保育園にいらっしゃるとのことなので小宿(こしゅく)に向かいます。
小宿と言えば、祖母の父親、もしくは祖父が以前、住んでいた地。
名刺をいただくと大津さんは保育園の理事長さんでした。
大津さんからは祖母の父、もしくは祖父である奄美で最初に医師免許をとった「加勇田 藤良」さんの話を色々と伺いました。
また奄美の小宿や朝仁の旧家の話も伺い、大津さんの先祖と私の先祖とも交流があったようです。
小宿では大津家、朝仁では朝野家が有名で、その朝野家と加勇田家は親族の関係があるようだという話も聞きました。
幕末の薩摩藩士の名越左源太さんが奄美に遠島を命じられた時に宿を提供した藤由気さん。その養子が嘉美行さん。
名越左源太さんの遠島中、親しく交流があったようです。左源太さんが鹿児島に戻ることになったときに嘉美行さんも同行し、医学の勉強をして明治17年に開業免許を取得。
その後、奄美に戻り、奄美初の医師として朝仁に住み、「加勇田 藤良」と改名したようです。
「藤良」の藤はもちろん養父の藤由気さんの名前をいただいたのだと思います。
その他、
左源太さんに宿を提供した場所が今も看板だけですが小宿に残っていること。
朝仁にある朝野家の墓の朝野墓と呼ばれる一角の中に、加勇田家の墓とその横に藤由気さんの墓があること。
加勇田家の末裔は今は奄美にはおらずに秋田県にいらっしゃること。
などの情報をいただきました。
奄美・小宿集落誌には名越左源太さんのことや私の先祖の嘉美行さんのことなども書かれていました。この本もいただくことができ、本当に感謝しています。
この日は保育園で開催される地元のイベントの敬老のつどいがある中、開始ギリギリ前まで話を伺うことができました。ありがとうございました。
時間が来たので、大津さんとお別れして、まずは小宿にあった左源太さんに提供した宿の跡を探すことに。
提供する前は嘉美行さんも住んでいた場所ですから一度見ておきたいという気持ちに。
色々、移動して調べてみたのですが残念ながら見つけることができませんでした。次回の奄美訪問時にもう一度大津さんに場所を詳しく聞いて見に行ってみたいと思います。
加勇田家の墓と藤由気さんの墓の場所は地図付きで場所を教えていただいたので、お墓を探しに行ってみることに。
小宿から車で2・3分の隣の朝仁に移動します。
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[…] 小宿まで先祖の足跡を訪ねて 奄美郷土研究会の会長さんに会いに行き、先祖のことを聞きました […]