朝仁の海の海岸沿いにある墓地。その一角に朝野家の墓が固まっていてその区域を朝野墓と呼ばれています。
朝野家とは、小宿保育園でお話を伺った大津幸男さんの大津家の先祖の佐和郁さんの弟の佐和常さんが、朝仁村を開拓して自分で創設したようです。
朝野家のお墓が並んでいました。大津さんの情報ではこのお墓の中に加勇田家のお墓があるとのこと。
朝野家と加勇田家は親族関係があったようだという話も伺いました。
お墓の中を探すと情報通り、その中にポツリと加勇田家のお墓がありました。
ここに祖母の父親、もしくは祖父の嘉美行さんが眠っているのでしょう。お墓は比較的新しい墓石だったので、近年に建て替えられたようです。
そしてその横には、嘉美行さんの養父の藤由気さんのお墓もありました。
大人と刻まれています。嘉美行さんが養父を偉大な人と讃えて作ったのではないでしょうか。
息子と一緒に2つのお墓に手を合わせて、お墓参り。
奄美に来て先祖のお墓を見つけることができるとは思いもしませんでした。
加勇田藤良さんこと嘉美行さんは私の祖母の父なのか、もしくは祖父なのか?
大津さんからいただいた「奄美・小宿集落誌」には、名越左源太さんは1819年(文政2年)12月28日生まれで、奄美に遠島になったときは32歳と記載されています。
嘉美行さんはおそらく左源太さんより年下のはず。
私の祖母は1909年か1908年生まれ。
嘉美行さんが仮に20歳だとしたら1831年生まれ。77歳か78歳の時の子どもとは考えにくいので私の祖母の祖父の可能性が非常に高いような気がします。
そうなると私から見ると曾祖父ではなく高祖父になるのか?
今回の旅行を終えて、帰国してから、加勇田家について調べてみたいと思います。
大津さんからいただいた「奄美・小宿集落誌」
そして、秋田在住の加勇田家の末裔の加勇田さんの情報
このあたりから色々と紐解いて奄美の歴史を知りたくなりました。
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