私は嘉美行の来孫であることが判明し、新たな謎も

秋田駅から北部の能代に移動。

奄美出身の親戚に会いにいきました。

この方は奄美大島で最初に医師免許を取った嘉美行こと加勇田藤良の子孫で私の祖母の腹違いの弟さんになる方です。

奄美から戻ってから、電話で何度か会話させていただき、私も嘉美行の子孫であることは間違いないということはわかっていたのですが、嘉美行の家系図をまとめておられるということなので直接お会いして色々と話を伺うことにしたのが今回の旅のきっかけでした。

そんな突然の訪問を受け入れていただき、ありがとうございました。

 

自宅にうかがって、嘉美行の話など色々聞かせていただき、当時の資料のコピー(現物は奄美博物館などに保管)など色々と見せていただきました。 

嘉美行は非常に頭がよく算術にも長けていたようです。秋田の親戚の方は東大出身で宇宙科学研究所でロケットの研究開発されていたことや、私も大学の専攻が数学で、今も趣味で人工知能の研究をしているということも偶然ですが、勝手に因果性を感じたり(笑)

kayuSN3J0196.JPGこれは嘉美行こと加勇田藤良がもらった医師開業免許 

kayuSN3J0199.JPGこれは嘉美行が書いた名越左源太さんへのお礼状

私が奄美に行って加勇田家のお墓を撮影した写真を見てもらい新たにわかったことがあります。

asaniSN3J0278.JPGそれが、この写真なのですが、嘉美行の墓は新しい真ん中の墓石だと思っていたのですが、この写真の左隅にある五輪塔が嘉美行の墓のようです。

右には嘉美行の養父の藤由気さんの墓石があり、加勇田家の墓は二人に守られているような形で立っていることがわかりました。

次回、奄美に訪問するときには左の嘉美行の墓もしっかりと墓参したいと思います。

そして嘉美行一族の家系図を見せていただき、わかったことは私の祖母からみて嘉美行は曾祖父にあたるようです。

つまり私からみたら嘉美行は高祖父母の父(高祖父母以上の前の呼称はないようです)にあたり、嘉美行からみると私は、来孫(らいそんと読み。子、孫、曾孫、玄孫の次の世代)になることがわかりました。

 

更に興味深い話も聞くことができました。私の高祖母にあたる阿具理の話になります。

kayuSN3J0202.jpgこちらの写真なのですが、ガラス板を使ったガラス板写真です。

写真の中央か左に写っているのが私の高祖母の阿具理のようです。

そして右に写っている方は名越左源太さんの長女のイサさんという方らしいです。

イサさんは薩摩藩士の左源太さんの娘ですから当然、鹿児島に住んでいました。

一方、嘉美行は奄美出身。

嘉美行は左源太さんが遠島から許しを受け鹿児島に戻れることになったときに鹿児島に帯同していきました。

当時、男性でも奄美から鹿児島に行くことは至難であった時代。いくらその嘉美行の娘であった阿具理であっても女性が奄美から鹿児島に行くことはあり得ないはずです。

その阿具理が左源太さんの娘イサさんと鹿児島で撮影している。という事実。

 

どうやら阿具理は、とある薩摩藩士の親族と嘉美行の間に鹿児島で生まれた娘ではないかという推測が生まれてきました。

「とある」と書いてあるのは私がきちんとそこまで調べきれていないので「とある」と書いてあります。

これが事実だとすると私は奄美出身の嘉美行の子孫でありつつ、薩摩藩士の子孫でもあるということになりそうです。

今後、自分のライフワークとして当時の幕末前後の奄美と鹿児島の歴史について調べて行きたいと思います。

 

今回の秋田在住の親戚の方との面会は、とても有意義なひと時でした。ありがとうございました!

そして、秋田の親戚の方とも再会を誓い、この日の宿泊先の大館に移動。


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