松岡軒以外に、もう1軒の羽二重餅はうちが元祖だと主張している和菓子屋さんがあります。松岡軒から200mほどしか離れていない「錦梅堂/きんばいどう」
錦梅堂の創業は 弘化四年(1847年)。松岡軒より50年早い創業です。
越前福井藩御用達であった初代紅谷伊三郎が考案し藩主に献上した羽二重餅と謳っています。 しかし、ここで1つ疑問がわきます。
創業当時の1847年には福井県には織物の羽二重の技術がまだなく、福井では明治20年(1887年)頃から羽二重の産業が立ち上がってきたのです。
つまり、 紅谷伊三郎が献上したのは何年なのか?
錦梅堂はホームページを持っておらず、 北陸名品市場というポータルサイトに公式的なページがありますが、そこでは以下のような記載があります。
弘化四年、越前福井藩松平家ご用達であった当店祖初代紅谷伊三郎により創業。
越前国は絹織物の名産地であったが
越前ブランドである羽二重織物をイメージした和菓子として羽二重餅を考案し
藩主に献上した。
創業は1847年と記載はしていますが、献上については何年に献上したということは書いてありませんでした。私が調べられたのはここまで。
整理すると
・紅谷伊三郎が錦梅堂を創業したのは1847年
・福井に羽二重の織物の産業が立ち上がるのが1887年以降
・淡島恒が松岡軒を創業したのは1897年
・松岡軒が羽二重餅を考案したと言っているのが1905年
錦梅堂が何年に考案し献上したのか?ご存知の方がいたらご一報ください。
どちらが羽二重餅の発祥なのか現時点ではわからないのでブログのタグには両方に「発祥」のタグをつけておきます。
次の記事では松岡軒と錦梅堂の羽二重餅の食べ比べをしてみます。
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