かつて東京に存在した古墳を囲むように造られたコース

[等々力ゴルフコース]
03.日本のゴルフ場
03.日本のゴルフ場

駒沢オリンピック公園を後にして、もう一か所、近くで戦前にゴルフ場があったという場所を訪問してみます。

その場所は世田谷区の等々力。

バスで駒沢オリンピック公園西口から等々力駅まで約10分。

等々力渓谷の近くにゴルフ場はありました。まず最初の目的地はゴルフ橋という名前の橋です。

歩道にゴルフ橋への行き先を誘導してくれるタイルが埋め込められてます。

最後のタイルが右に曲がる案内だったので角を曲がるとすぐに橋が見えてきます。

こちらが、ゴルフ橋。

「ゴルフ橋」と通称ではなく正式な名前として現在も使用されていました。

この先がゴルフ場ではなくゴルフ場は少し離れた場所にありますが、この橋を通ってゴルフ場に向かっていたのでそう名付けられたようです。

橋の下には全長1000mの等々力渓谷があり、谷沢川が流れています。

橋の横に遊歩道の入り口があるので降りてみて下からゴルフ橋を見てみました。

渓谷をしばらく南に向かって歩いてみます。

当時の目蒲電鉄(現在の東急電鉄)はこの等々力渓谷の西側の土地に1931年(昭和6年)に玉川ゴルフコースという名前で9ホールのパブリックコースを開場しました。

翌年の1932年から、等々力ゴルフコースと名前を変えて営業。

そろそろ渓谷から当時ゴルフコースがあった玉川野毛町公園に移動してみます。

現在の等々力周辺の空撮写真。写真の中央に縦の緑色の部分が等々力渓谷です。その左(西側)に野球場のような緑色の部分が見えますが、そこが玉川野毛町公園。

(提供 国土地理院)

戦前の陸軍の空撮写真を見るとその公園になった部分がゴルフコースだったのがわかりますね。

ゴルフコースの真ん中にポツンと緑が残っていますが、これは古墳のようです。

(提供 国土地理院)

渓谷から階段を登り公園の方に向かうと公園の東側の部分は整備中で工事していました。

こちらが公園の西側部分。

玉川野毛町公園(野毛大塚古墳)と看板が。奥にこんもりとみえるのが古墳です。

かつてはこの古墳の周りにゴルフコースがあったと思うと、興味深いです。

エジプトにピラミッドの横に造られたゴルフコースがありますが、こちらは古墳を囲むように造られたゴルフコースということで残っていれば世界的に例がないゴルフコースになっていたと思います。

最初は6ホールで開場。その三か月後には9ホールに。

太平洋戦争が始まった1939年にはゴルフ場は閉鎖されてしまいました。

この古墳は上まで登れるようでした。次回訪れることがあれば登ってみようと思います。

     

I’m a golf-a-holic man. ゴルフバカです。

ゴルフのためなら世界中どこでも行きます。食事とお酒も大好きな食いしん坊ゴルファー。

2021年6月現在、日本国内約600コース、海外は約300コースをラウンドしているコースマニア。現在、世界中をゴルフ旅しています。ゴルフの腕前は平均スコア90前後のアベレージゴルファー。典型的なエンジョイゴルファーです。

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