今日は東京都世田谷区にある駒沢オリンピック公園に。
かつて駒沢オリンピック公園の場所には東京で最古のゴルフコースの東京ゴルフ倶楽部駒沢コースがありました。
その前にまずは、駒沢オリンピック公園の近くにある駒沢一丁目西公園という小さな公園に向かいます。
オリンピック公園の西口から北に350mほど歩いた場所にあります。
こちらの公園に訪れた理由はこの「駒沢ゴルフ場跡」という石碑を見るため。
実際はこの公園のエリアにはコースはなく、オリンピック公園内の敷地にあったのですが管理や土地権利の問題でしょうか、少し離れたこの公園に設置されています。
そして南に向かい、駒沢オリンピック公園に。こちらは西口。
この公園内がかつて存在していた日本人による日本人のための最初のゴルフ倶楽部の東京ゴルフ倶楽部駒沢コースでした。
東京ゴルフ倶楽部駒沢コースの設計はG・G・ブレディとF・E・コルチェスター。開場は1914年(大正3年)。
1906年に開場した日本で三番目に古いゴルフコースだった根岸ゴルフ場の設計もこの二人が担当しました。
東京ゴルフ倶楽部はその後、朝霞、狭山と二度移転して現在に至ります。
その経緯などはこちらの記事をご覧ください。
公園内の案内図です。この敷地内が全てゴルフコースでした。
こちらが現在の駒沢オリンピック公園の空撮写真。公園の北側に駒澤大学。
(提供 国土地理院)
陸軍が撮影した空撮写真と見比べるとそのまま駒沢コースがオリンピック公園になったのがわかります。
(提供 国土地理院)
ここ駒沢コースでは大正11年に当時皇太子だった昭和天皇とイギリスのプリンス・オブ・ウェールズとの親善試合が行われました。この時の昭和天皇のパートナーは大谷光明。
大谷は現在の東京ゴルフ倶楽部のコースの設計も行いました。
公園内からは駒澤大学が校舎が見えます。
開場時は6ホールで開場、その後9ホール、18ホールと拡張していきましたが、地代の高騰で東京ゴルフ倶楽部は1932年に朝霞に移転。
東京ゴルフ倶楽部が移転した後、同年に、このコースは駒沢ゴルフコースとして目蒲電鉄(現在の東急電鉄)が経営を引き継ぎました。
その後、1940年に幻となった東京オリンピックのメイン会場として1937年に起工されましたが、満州事変勃発によりオリンピックを返上して計画は中止。
こちらは駒沢陸上競技場。
こちらは駒沢体育館。
戦後は東急が都に寄贈して、1964年に開催された東京オリンピックでは第二会場として使用されて現在に至ります。
近くに、戦前にもう1つ東急がパブリックコースを造った跡地があるので、そちらにも行ってみることにします。
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