今日は京都市の山科に。
山科駅から南に10分ほど歩いた場所に京都刑務所があります。
この東隣にかつて、京都カントリー倶楽部山科ゴルフ場があったそうです。
その跡地巡りに行ってきました。
1925年(大正14年)に京都刑務所の隣に6ホールで開場し、その後9ホールに拡張。
1943年(昭和18年)に戦況の悪化のために閉鎖。
閉鎖後は農地などになり、その後、住宅地が建ち、かつてここにゴルフ場があったという痕跡は残っていません。
戦後の1946年に米軍が空撮した写真がこちら。
写真中央にXの形をしている建物が見えます。これが京都刑務所。
その東に田んぼや畑のような場所が見られますがここがかつての京都カントリー倶楽部山科ゴルフ場があった場所でした。
(提供 国土地理院)
閉鎖されてからわずか3年で跡形もなくなってしまいました。
1935年(昭和10年)に京都市が作成した「京都市都市計画基本図(縮尺1/3,000)」にはしっかりと山科ゴルフリンクと記載されています。
(スが欠けていますが脱字ではないでしょうか)
(提供 立命館大学「近代京都オーバーレイマップ」)
当時、9ホールがどのようなレイアウトだったのかを先ほどの航空写真の上に汚いですが描いてみました。
数字がその番号のティーインググランド。緑色がグリーン。
そして、ここにかつてゴルフ場があったという唯一の名残が山科駅からこのゴルフ場まで南下する道が通称「ゴルフ道」と呼ばれていることであることをしりました。
現在の外環の東の一本目の細い道が「ゴルフ道」と呼ばれています。(下の図の黄色い部分)
10年数年ほど前は道看板の地図に「ゴルフ道」と記載されていたようですが、現在は開発が進み看板も撤去されたようです。
三条通からそのゴルフ道を南下してかつて山科ゴルフ場があった跡地を歩いてみます。
山科駅からゴルフ場に向かう道なのでゴルフ道と呼ばれました。
少し歩くと橋がありました。
この小川は後に出てくる山科川に合流します。
橋を渡って南下を続けます。
途中、ドラッグユタカがあり、その壁に看板が。新しい看板のようなのでこの看板にはゴルフ道と名前は書かれていませんでした。
再び川が現れます。これが山科川。
橋には桜橋と書かれていました。桜橋から見る音羽山。
ゴルフ場があった場所まであと少し。
この先はT字路になっています。ちょうど車が曲がっているところの先が京都刑務所の敷地です。
交差点を左に曲がり、ゴルフ場があった場所に向かいます。
右に見えている建物は京都刑務所の職員宿舎。その先からゴルフ場だった敷地になります。
ゴルフ場だった辺りを散策してみます。
京都刑務所の東側の塀を南側に見た風景。だいたい3番ホールがあった場所あたりでしょうか。
こちらは同じ地点から北側を見た風景。
塀に沿って南下していきます。
京都刑務所の南端まできて振り返った風景。この塀の右側全体が山科ゴルフ場でした。
そして道路を渡ったところに4番、5番ホールがありました。
畑の当たりが4番のティーインググラウンドだったあたりでしょうか。
この道の右側が4番、5番ホールだった場所。
今度は8番、9番ホールだったたりの場所を歩いてみます。
この辺りが9番ホールだった場所。
団地の公園がありました。
残念ながらコースの面影はどこにもありませんでした。
何か、ゴルフ場の名残がないか、ネットで検索するとこの近くの竹見酒店という酒屋が「ゴルフ道」という日本酒を販売しているという情報を得たので、訪れてみることに。
こちらがその竹見酒店。妙見道の通り沿いにありました。
中に入ってお店の方に「ゴルフ道」という日本酒はまだ販売しているか?と聞いてみると、それは近くで営業していた弟の店で販売していたお酒で現在は弟が亡くなったためにそちらのお店は閉めてしまったようです。
同じ日本酒でこちらのお店は妙見道に面しているので「妙見道」という名前で販売しているとも教えてもらえました。せっかくなので「ゴルフ道」と同じお酒の「妙見道」を4合瓶を1本購入。
そして、弟さんのお店はどこにあったのかを聞くと、先ほど山科川にかかる桜橋のすぐ横で営業していたと教えてもらえました。今はイタリアンのレストランがあるとも。
帰り道にもう一度、桜橋まだ戻ってみることに。
こちらの場所にかつて「ゴルフ道」という日本酒を販売している酒屋さんがあったようです。
再びゴルフ道を歩いて山科駅のほうに向かいました。
三条通まできて最後に振り返ってもう一度、ゴルフ道を撮影。
帰宅してから、日本酒「妙見道」をいただいてみました。
京都の北川本家が瓶詰めしている純米吟醸です。
すっきりとした飲みやすい日本酒でした。
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