今まで食べ物や物事の「発祥の地」を巡り、日本全国はもちろん、韓国、フランス、アメリカ、スコットランド、メキシコ、シンガポール、ベトナム、ラオス、中国など、世界各地を旅してきた。
その発祥の地を訪ねる記事も、今回で322回目。
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そんな発祥シリーズの今回のテーマは「コンビニのフライドチキン」。
そしてその原点は、本土ではなく沖縄のファミリーマートにある。
ファミリーマートが沖縄に進出したのは1987年。
ここで重要なのは、沖縄のファミマが単なる地方拠点ではなく、当時セゾングループの一員だったファミリーマートと、同じくセゾンと協力関係にあった沖縄の地場流通企業リウボウの共同出資で沖縄ファミリーマートという会社を設立したということ。
いわば「本土のコンビニチェーン」と「沖縄ローカルの商業資本」のハイブリッド企業としてスタートしている。そこから店舗網は順調に広がり、1997年には沖縄県内だけで100店舗を超えるまでになっていた。
しかし、1990年代後半になると状況が変わる。他のコンビニチェーンが次々と沖縄に参入し始めた。本土と同じ商品構成で戦っていては、いずれ価格競争に巻き込まれて埋もれてしまう。沖縄ファミリーマートの現場には、「沖縄ならではの価値を出さなければ生き残れない」という危機感が強くあったのだと思う。

そこで彼らが目をつけたのが、沖縄独特の揚げ物文化と米軍基地の存在だった。
沖縄では、天ぷらやフライものが日常的に食卓に上がる文化が根付いており、惣菜の揚げ物に対する許容度が高い。そこに、基地の周辺で根強いアメリカ式フライドチキンへのニーズが重なる。沖縄ファミマは、「沖縄の人が本当に食べたい揚げ物」と「米軍のアメリカ人が日常的に買いたくなるチキン」、この両方を満たす商品を作ろうと考え、本格的なフライドチキンの開発に踏み切った。
骨付きのモモ肉、いわゆるドラムを使ったフライドチキンをスパイス配合を一から作り上げ、衣の厚さや揚げ上がりの食感まで細かく調整して開発した。さらに、風味を損なわないよう、最後の仕上げは店舗のフライヤーで揚げる方式を採用。
油の温度や揚げ時間の試行錯誤をし、2000年に沖縄限定商品として「骨付きフライドチキン」を発売した。

この骨付きチキンは狙い通り、沖縄で大ヒットする。ボリュームがあって食べ応えがあり、スパイスの効いた味付けがビールにも合う。地元客だけでなく、基地のアメリカ人にも受け入れられ、あっという間に「沖縄ファミマといえばチキン」というイメージが定着していく。
ちょうどその頃、ファミリーマート本体の経営陣も全国の店舗を巡回しており、2001年に就任した新社長・上田準二が沖縄の店を訪れ、このチキンを口にしてその完成度に驚いたと言われている。
当時、ローソンの「からあげクン」は存在していたが、骨付きの本格派フライドチキンをここまできちんと作り込んでいるチェーンは他になく、「これは競合との差別化の切り札になる」と判断され、ローカル商品だった沖縄発のチキンが、そのまま全国販売へとつながっていった。

ローカルで生まれた商品が、本部に見いだされて全国区の看板メニューになっていく——という流れは、以前このブログでも書いたビッグマックの物語ともよく似ている。
マクドナルドの看板メニュー「ビッグマック」も、アメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグのフランチャイズ店から生まれたのだ。
話をファミマのチキンに戻す。
好評だった骨付きチキンには弱点もあった。片手では食べにくく、どうしても手が油で汚れる。骨の処理も面倒で、車の運転中やオフィスのデスクで食べるには少しハードルが高い。実際、購入者の約8割は男性に偏っており、女性客やライトユーザーを十分に取り込めているとは言いがたい状況だった。そこで次の課題として、「もっと食べやすく、女性にも手に取ってもらえるフライドチキンを作る」ことが掲げられることになる。
新たな商品開発では、まず肉の部位選びから見直された。当時のフライドチキンは骨付きが当たり前だったが、あえて骨のないサイ(腰側の部位)を使い、ジューシーさと食べやすさの両立を狙い商品開発をした。試作と改良を半年ほど繰り返し、2006年、「ファミチキ」が発売される。


ファミチキは登場直後から大きな反響を呼び、ファミリーマートを代表する商品に成長していった。現在も骨付きフライドチキンはフラチキという名称で沖縄では販売され続けている。
その成功は当然ながら競合他社も参考にし、ローソンがLチキ(2009年〜)、セブンイレブンがななチキ(2017年〜)といった類似コンセプトの商品を次々と投入し、レジ横のフライドチキンはコンビニの定番商品となったのである。



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