奄美大島に到着。
私の祖母の腹違いの妹さんと息子さんが空港まで迎えにきていただけました。
奄美大島に再訪するきっかけは私のブログ。
2010年9月に初めて奄美を訪問して、私の祖母のルーツを探っていた記事をたまたまこの息子さんが発見されて、私に連絡がくれたことがきっかけでした。
多少、奄美や秋田に行って調べた内容と事実が違うようで直接、私の祖母の妹さんとお会いして当時のことを話をきくことができるので再訪したのです。
先祖の藤由気が住んでいて謫居した名越左源太に提供した宿跡を訪問する前に、まずは同じ時期に謫居していた西郷隆盛に関する史跡を巡りましょうということで案内してくれました。
西郷隆盛が上陸した龍郷の海に。
こちらが西郷隆盛が1859年に上陸したときに船を結んだ松の切り株。
台風などにより劣化して現在は切り株しか残っていませんでしたが、かつては西郷松と呼ばれていたようです。
そしてこちらが西郷隆盛が三年間暮らしていた西郷南洲謫居跡。
龍郷で暮らしているときに西郷隆盛は、龍家の愛加那を妻に迎えて、後の京都市長になる菊次郎とその妹の菊子の二人をもうけました。
龍郷では龍家が西郷隆盛の面倒をみて、その子どもが京都市長に。
朝仁では加勇田家が名越左源太の面倒を見て、藤由気が奄美初の医者となり、その孫(私の祖母)が京都に。
偶然だと思いますが、なぜ若い年頃の娘だった祖母が京都に出たのかなど引き続きいろいろと調べてみたくなりました。
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