夕食も食べ終えたので軽く飲みに行くことに。
車をホテルに戻しに行きます。
移動中に見えたエンパイアステートビルディング。
グランドコンコースステーションの駅舎。
ニューヨーク最後の夜に飲みに行くバーはこちら。
セントレジスにあるキングコールバー。
ブラッディマリーの発祥はここキングコールバーらしいのでやってきました。
セントレジスのホームページには以下のように紹介されています。
「1934年、セントレジス・ニューヨークの「キングコールバー」のバーテンダーであったフェルナン・プティオが、ウォッカとトマトジュースのカクテルのレシピを完成させ、「ブラッディマリー」と名付けました。 その後、ホテルのお客様にとってあまりにきわどい名前であると見なされ、「レッドスナッパー」と改名されました。 後者の名前は、時の試練に耐えられなかったようですが、フェルナンのスパイシーなカクテルは時を経た今も生き続けています。」
広々とした解放感があるバーです。
ブラッディーマリーの発祥でふと思い出したことがありました。
一年前の8月にパリを訪れた時に飲みに行ったハリーズニューヨークバーも確かブラッディーマリーが発祥だとメニューに書いてありました。
「ヘミングウェイも通っていた老舗バーで生まれたカクテルたち」
そんなこともあり、ブラッディマリーについて、少し調べてみました。
ハリーズニューヨークバーでブラッディマリーが生まれたのは1921年。当時、働いていたフェルナン・プティオが作りだしたとのこと。
キングコールバーでは1934年にフェルナン・プティオが、そして、ハリーズニューヨークバーでは1921年にフェルナン・プティオが。
ん?作られた年は違いますが、どちらも同じ人物です。
パリで勤めていたフェルナン・プティオがパリでブラッディマリーを生み出して、その後、ニューヨークのセントレジスのキングコールバーに転職したというのが話の流れでしょうか?
もう少しだけ調べていると、どうやらそのフェルナン・プティオが生前のインタビューで「ジョージ・ジェッセルという俳優がウォッカとトマトジュースを混ぜるレシピを1939年に作り、その後ジェッセルから教わり、現代的なブラッディマリーを作ったのは自分だ」と答えています。
そして、ハリーズニューヨークバーのオーナーのハリー・マッケルホーンが出版していたカクテルブックにも最初の頃はブラッディマリーは掲載されておらず1980年代に出た重版で初めてブラッディマリーが掲載されたようです。
ここからが想像ですが、ブラッディマリーの原型(ウォッカとトマトジュースだけを混ぜる)はジョージ・ジェッセルが作り、ニューヨークに移ったフェルナン・プティオが、レモンやスパイスを入れた洗練したものにして、それが世界中に広がり、かつてプティオが働いていたハリーズニューヨークバーでもオリジナルカクテルの欄に記載した。というのが一番自然な流れかもしれません。
セントレジスのブラッディマリーは、オリジナルのレッドスナッパー以外に各国のセントレジスでアレンジされているブラッディマリーを楽しむことができます。
オーダーしたのはプティオが作りだしたレッドスナッパー
すっきりした上品なブラッディマリーでした。
2杯目はオリジナルカクテルの「Fifth and 55th」
セントレジスの住所です。
Belvedere(ウォッカ)にフレッシュライムとチェリーラムを使用したカクテル。
2杯で移動するつもりが、カクテルが美味しいのと居心地がよいので3杯目に。
ニューヨーク最後の夜の締めはマンハッタンで(笑)
King Cole Bar(キング・コール・バー)
コメント
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