奄美に到着して西郷隆盛にまつわる史跡を見学した後は、我が祖先の藤由気や嘉美行こと加勇田藤良が住んでいた自宅跡に向かうことに。
移動している車中でもいろいろと先祖の話を聞かせていただいて、今まで私が聞いてきた話や数々の書籍に記載されている家系図は実際に若干違うことが判明しました。
以前のブログでは藤由気の養子が嘉美行で嘉美行が名越左源太が鹿児島に復帰する時に同行して鹿児島で医学を学び、奄美に戻って奄美初の医者となったと言われていると書きましたが、実際は藤由気の別名が嘉美行で藤由気が奄美初の医者、加勇田藤良だったというのが事実のようです。
その藤由気が養子にもらったのが加勇田清七で、清七とアキチヨの娘が私の祖母のチヨだということがわかりました。
つまり藤由気は私からみて高祖父にあたるようです。
そして今回、奄美で出迎えていただいた久美子さんは清七の後妻のテイさんとの間に生まれた私の祖母とは腹違いの妹さんにあたることもわかりました。
そんな話を聞きながら小宿にある藤由気や名越左源太が住んでいた居住跡に到着しました。前回の訪問では見つけることができなかった場所です。
今は誰も住んでおらず、当時使用されていた井戸や庭などがそのまま残っていました。
もしかしたら祖母も幼少の頃、この庭で遊んでいたことがあったのかもしれません。
コメント
こんばんは。とある検索中にこちらの記事にたどり着きました。先日実家に帰った際に見つけて持ち帰った昭和初期の朝仁のメモ地図に、加勇田清七さんの名前がありました。どうやら私が育った家とはお隣同志だったようです。
アサノさん
コメントありがとうございます。
お隣さんだったんですね。この記事の自宅の場所の隣だったんでしょうか?
いいえ、こちらは小宿ですよね。
私の実家は朝仁なので、朝仁の方になります。
簡単な地図ですが私の祖父の名前の隣に加勇田清七さんの名前が有りました。
物心付いた頃、隣は割と大きな空き地で樹木や雑草が生い茂ってましたが、良く遊び場にしてた記憶があります。時々壺の欠片や家屋の残骸?的なものを掘りだしては遊んでた記憶も。昭和30〜40年代にはもう空き地だったみたいですね。
残念ながら父はもう他界してますが、今度母に隣りの家の事を知っているか聞いてみますね。
アサノさん
ありがとうございます。また何かわかりましたら教えていただけると嬉しいです。