コザゲート通り沿いに基地の街=コザ(現・沖縄市)の戦後史と文化をテーマにした資料館の沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートがある。
もともとは、沖縄戦の降伏調印から60年の節目だった2005年に、パルミラ通りで開室した「ヒストリート」「ヒストリートⅡ」が前身。それが2018年に現在の場所へ移転・拡充され、今のスタイルで再オープンしたという経緯を持つ。


1階には、Aサインバーの再現セット、当時の街並みを再構成したジオラマが並び、「基地の街・コザ」がどんな環境の中で育ってきたのかを学べる。


https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
移住してから沖縄市はエイサーのまちと聞くたびに、なぜ沖縄市なのか腑に落ちていなかったのだけれど、2階は企画展のスペースで、その理由を学ぶことができた。
戦後、コザの街は米軍基地の門前町として発展し、夜の街は米兵で賑わっていた。しかし1956年、沖縄県民は「土地を守る四原則」を掲げ、「島ぐるみ闘争」と呼ばれる大規模な抗議運動を行った。

この抗議運動により米軍は、中部一帯の街をオフリミッツ(米軍人・軍属・家族の立ち入り禁止区域)に指定し、基地経済に依存していたコザの商工業は大きな打撃を受けた。
その閉塞した空気を変え、米軍との関係を“対立”だけでなく“交流”にも開いていこうと、旧コザ市が打ち出したのがエイサーだった。
1956年に市制施行を機に始まった「全島エイサーコンクール」が原点で、のちに現在の沖縄全島エイサーまつりへと受け継がれていく。
オフリミッツ解除をめぐる協議の中で、「エイサーで街を盛り上げ、米琉親善の場をつくる」という方向性が示され、実際に全島から青年会が集まり、太鼓と三線でコザの街を再び明るくしたという。

展示パネルを読みながら、そんなストーリーを初めて具体的に知ることができた。



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