第八話「ゴルフの原点スコットランド、リンクスゴルフ旅」

5章.北部のサザランドへ

スコットランド10日目

今日は宿泊していたインヴァネスから北に向かいプローラGCをラウンド後、ロイヤルドーノッホGCをラウンドの予定。

ブローラに到着。朝食をブローラGCでと思っていたが、この日に限ってレストランのスタッフが遅刻。

代わりにすぐ近くのホテルで朝食を取ることに。

ロイヤルマリーナホテルというホテルがゴルフ場の横にあった。

メニューにハイランダーブレックファストと書いてあるので面白そうなのでオーダーしてみたら、なんてことなかった。いつものスコティッシュブレックファストだった。

今回、初めて食べたのは、オーツ麦で作ったビスケットに似たフラットブレッドのオートケイク。スコットランドでは1世紀の頃から食べられていたらしい。

このホテルの朝食で特筆したいのはクロワッサンがとても美味しかったことだ。

お腹がいっぱいになったので本日の第一ラウンドのブローラGCに戻ることにする。

羊と牛が放牧されているジェームズ・ブレイド設計の名リンクス

スコットランドゴルフ旅の第12ラウンドはブローラゴルフクラブ

1891年に開場。最初は9ホールでトム・モリスが設計。そして1900年前後にジョン・サザランドが18ホールに拡張。

更に1924年に三巨頭の一人のジェームズ・ブレイドが改造して現在のレイアウトになった。

現在はジェームズ・ブレイドが設計したコースが集まった組織、ジェームズ・ブレイド・ゴルフィング・ソサエティの本部にもなっている。

この地の酪農家たちはコースが造られる前から家畜を放牧していたのでコース内には今でも羊や牛が放牧されていて、牧歌的なコースとはまさにここブローラのことをいうのだと思うぐらい、のんびりとした空気が流れる素敵なコースだった。

そしてグリーンには針金がぐるりと囲まれていた。

最初、意味がわからなかったが、コース内には羊や牛が放牧されているので羊たちがグリーンに入らないようにしているようだ。

このようにところどころ、緑色のチューブで針金が覆われていた。おそらく針金には電気が通っていて、このチューブ部分は絶縁してるので、跨いだ時に誤って触れても安全ということなのだと思う。

ダッファーの私にとっては、コース内のあちこちに羊や牛がいたのでトップさせてぶつけるんじゃないか?といつも以上に慎重にショットしてドキドキ感が味わえるコースだった。

私に羊や牛を気にせずにショットできるようになる日は訪れるのだろうか。。

ラウンドを終了後、クラブハウスでコースを眺めながらランチを。

ちょうど雨が降り出してきた。

バナーマンズ・ブレッデッド・スキャンピをオーダー。

エビフライである。バナーマンズって何だろうと後で調べたら、ハイランド地方の朝に通過してきたテインの街のシーフードの冷凍食品の会社だった。その冷凍のエビフライを揚げているだけなのだが、メニュー名にあえて記載しているのは清いなと思った。

ランチを食べ終えたら、ドーノッホに移動。朝に通過した道を南に戻る。

ドナルド・ロスの恩師、サザランドが生涯愛し続けたリンクス

スコットランドゴルフ旅の第13ラウンドはロイヤルドーノッホゴルフクラブ

(※一部の書籍などではDornochをドーノックと表記しているが、スコットランドではドーノッホと発音するので当サイトではドーノッホと表記している。ちなみにSt Andrewsは当サイトでは、セントアンドリュースと表記している。発音に似せるならセントアンドルーズだろ?というツッコミがありそうだが、こちらは未だにセントアンドリュースと読まれている書籍・サイトが多いので長いものに巻かれておくことにする。つまりダブルスタンダードである。当ブログのタイトルが気まぐれブログということなのでご理解いただきたい。)

ロイヤルドーノッホにはチャンピオンシップシップコースとストゥルーコースの2コースあり、チャンピオンシップコースをラウンド。

チャンピオンシップコースは、米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldに初回の1983年から最新の2023年までずっとランクインしている。最高位は10位(1983、2019、2023年)。

また4番、6番、14番ホールはThe 500 World’s Greatest Golf Holesにも選出されている。(更に14番ホールは500ホールの中から最も戦略的な18ホールが選出されるThe Most Strategic Holesと全リンクスの中で素晴しい18ホールが選出されるThe Best Links Holesにも選出)

ロイヤルドーノッホGCは1877年にドーノッホゴルフクラブとして結成。当初は9ホールのコースだった。ロイヤルの称号は1906年に授けられそれ以降はロイヤルドーノッホゴルフクラブに。

そしてドーノッホと切り離すことができない人物が、ジョン・サザランド

1883年にドーノッホゴルフクラブのセクレタリー(日本でいう支配人に相当)に就任して1941年に71歳で他界するまでロイヤルドーノッホを愛し、その役職を全うした人物。

彼が、1886年にトム・モリスをセントアンドリュースから招聘して18ホールに拡張。

そしてこの時、まだ12歳だったドーノッホ生まれのドナルド・ロスをトム・モリスに預けてセントアンドリュースに修行に出したものサザランド。

1893年にドナルド・ロスはロイヤルドーノッホに戻り、ドーノッホ所属のプロゴルファーとしてクラブ修理やコース管理を日々の業務としていたが、1899年にドーノッホを去り、アメリカに。

ドナルド・ロスは、その後、全米で413ものコースを設計し、世界的に有名な設計家になった。

代表作のパインハーストNo.2を1907年に設計し、パインハーストを生涯、愛し、改造を続けた。

そんなドナルド・ロスは1921年に恩返しでロイヤルドーノッホに戻り、コース改造を行った。この時、恩師のサザランドとも再会し、サザランドが1つのコースを愛し続ける姿を見て、自分もパインハーストを生涯愛し続けることを誓ったのかもしれない。

サザランドが他界して4年後に第二次世界大戦も終戦。

終戦後、全英オープン覇者のジョージ・ダンカンがロイヤルドーノッホの改造を行い現在のレイアウトに。

このダンカンの改造もサザランドの構想を受け継いだ改造案だったらしい。

14番ホールはロイヤルドーノッホのシグネチャーホール、フォクシー

この14番ホールにはバンカーがない。

Foxyとは目標物のバンカーがなく距離を見誤ってしまって狐のように騙されるホールと言う意味のようだ。

ティーショットがナイスショットでもセカンドショットがかなり難しいホール。グリーンは横長のプラトーグリーンで地味なホールだが、攻略しがいのある素晴らしいホールだ。

ロイヤルドーノッホはコースレイアウトがよく考えられていてタフで楽しめる素晴らしいコース。

その中でも、小高い丘と海沿いの土地を上手くループさせているルーティングが素晴らしく、穏やかに1番ホールをスタートして3番で海に出会い、少しずつ海に近づいていき、16番グリーン、17番ティー、18番ティーから海を見下ろして終わるという流れが心地良い素敵なリンクスだった。

ドーノッホキャッスルホテル

ロイヤルドーノッホでのラウンドを終えてドーノッホの街で夕食をとることに。その前に少し街を散歩。

ドーノッホキャッスルホテル。16世紀に建てられた城を1947年に改装してホテルにしたようだ。

ホテルの目の前には13世紀に建てられたドーノッホ大聖堂があり、中に入るとステンドグラスが綺麗だった。マドンナが結婚式を挙げた教会としても知られている。

夕食はロイヤルドーノッホの古参メンバーからオススメの店を教えてもらった。
ドーノッホインの二階にあるワンナップというお店。

マッシュルームスープにメインにはチキンにハギスを詰めたサザランドチキン

これが赤ワインに合い、本当に美味しかった。

夕食を食べた後は今夜の宿泊先のロジーマスに移動。

ドーノッホの街を20時半過ぎに出発。南下して、今朝出発したインヴァネスを通過して西に。

     
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