今回のフランスに来たもう一つの目的はオテルリッツのバーヘミングウェイで生まれたカルバドスのカクテル、セレンディピティを飲むこと。
セレンディピティを初めて飲んでその存在を教えてもらった私が京都で一番大好きなバー、カルバドールの高山さんにその話を先月したら、なんとこの秋までホテルリッツは改装中なんだとか。。
こちらがその改装中のオテル・リッツ
そしてこれがカルバドールでミントの時期には必ずオーダーするセレンディピティ。
セレンディピティとは、「ふとした偶然につかむ幸運」という意味らしい。カルバドスとミントとリンゴジュースとシャンパンを使ったカクテル。
今回は残念ながら、改装中でバーヘミングウェイのセレンディピティをいただくことができませんが、きっともう一度、フランスに行けということなんでしょうね。
残念がっていたら、高山さんに、その代わりに、ヘミングウェイも通っていたこの老舗のバーを教えてもらいました。
「ハリーズ・ニューヨーク・バー」
現在は、伝説的なバーテンダーの初代オーナーのハリー・マッケルホーンのひ孫のフランツ・アーサーが跡を継ぎカウンターに立っています。
スコットランドのダンディー生まれのハリー・マッケルホーンは数々のカクテルを生み出した人物として有名です。今夜はその彼が生み出したカクテルをいただきます。
まず、最初にパリなのになぜ店名が「ハリーズ・ニューヨーク・バー」というのか?
元々、このお店はアメリカ人がニューヨークで経営していたバーをパリに移して「ニューヨーク・バー」という店名で営業したことから始まります。
このバーで採用されたハリーはメキメキと頭角を現し、人気のバーテンダーになりますが、夢を見てアメリカに旅立ちます。
そして第一次世界大戦が勃発し、イギリス軍の軍人として戦争に参加。
終戦後はロンドンの社交クラブのバーテンダーとして働き、1919年にカクテルブックの「Harry’s ABC of Mixing Cocktails」を出版。
その後、以前勤めていた、パリのニューヨーク・バーが売りに出させていることを知り、店を買い取り、店名を「ハリーズ・ニューヨーク・バー」に変更したのでパリなのにニューヨークという名前がついているのだそうです。
こちらのお店のオリジナルカクテルのメニュー。
右のページは2003年以降に考案されたカクテルなのでハリーの孫で先代のダンカンと現オーナーのフランツが考案したカクテルで、左のページが初代オーナーのハリーが考案したカクテルでしょうか。
上のメニューには載っていませんが、ハリーが考案したと言われているダイヤモンドフィズことフレンチ75からスタート。
1920年代パリで大流行したジンベースのカクテル。レモンジュース・砂糖・シャンパンを使用しています。
75は第一次世界大戦中のフランス軍の大砲の口径サイズ。これをバーボンベースにすると95、ブランデーベースにすると125 になります。
パリのアンリ・バーで誕生したという説もあります。
続いてホワイト・レディー。ロンドンの社交クラブにいるときに1919年に考案したカクテル。当初はミントリキュールベースでしたが、その10年後の1929年にジンベースに変更。
三杯目はサイドカー。このサイドカーなのですがハリーズカクテルのメニューには1931年と記されていますが、発祥説は諸説あり、ハリー自身は、1919年に出版した「Harry’s ABC of Mixing Cocktails」でロンドンのバーテンダーのパット・マクギャリーがサイドカーを考案したと書いてあるのでそれを元にアレンジしたのでしょうか?詳しいことはわかりません。
四杯目はブルーラグーン。1960年に考案。
いい感じで酔ってきました。店内は常に満席。
そして締めは1921年に考案したブラッディーマリー
Harry's New York Bar(ハリーズ・ニューヨーク・バー)
https://www.facebook.com/HarrysNewYorkBarParis/
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