沖縄では「Aランチ、Bランチ、Cランチ」というメニューの文化があります。
沖縄のレストランや喫茶店のランチ(と言っても深夜でもランチはオーダーできる)はだいたいAランチ、Bランチ、Cランチとおかずの量の違いで3つのグレードにわかれてます。
Cをベースにおかずの種類がB、Aと増えていき、Aが一番豪華。
その沖縄のAランチ、Bランチ、Cランチのルーツは1951年に越来村(現在は沖縄市)の照屋に喜界島出身の元山嘉志富さんがオープンした「ニューヨークレストラン」
元山さんはニューヨークでレストランの経営をしていたのですが太平洋戦争が始まった1941年に喜界島に帰国。終戦後は、沖縄に移り、アメリカでの経験を活かして「ニューヨークレストラン」を開業しました。
その頃は、沖縄にはアメリカンスタイルのレストランが少なく、多くの米兵が訪れて、店は多忙に。喜界島から若者を呼んで、次々と暖簾分けをしていたらしい。
1952年にはコザのビジネスセンター通り(現在のパークアベニュー通り)に暖簾分け一号店のニューヨークレストランが。
そして1953年には嘉手納町に二号店がオープン。(こちらは現在のジャッキーステーキハウスの前身)
県内には10店舗以上、暖簾分けしたニューヨークレストランが営業し、暖簾分け一号店のシェフ徳富清助さんが高価なステーキをオーダーできない県民向けに手ごろなランチを提供したが1956年頃。その頃は1種類のみで普通にランチと呼ばれていました。
その後、県民が豊かになるにつれ、おかずを増やしていき、最終的に1964年ごろに、今のAランチ、Bランチ、Cランチという形になったのだとか。
県内のニューヨークレストランも同じようにメニューに加えて、それが他のレストランや喫茶店にも広がったというのが沖縄のAランチ、Bランチ、Cランチの歴史のようです。
そんなニューヨークレストランも時代の流れでほとんど閉業しており、今残っているのは那覇市に移転し、店名をジャッキーステーキハウスに変更した嘉手納のニューヨークレストランぐらいのようです。(ちなみに北谷町のステーキハウス金松もジャッキーステーキハウスからの独立)
ということで現存するAランチ、Bランチ、Cランチのルーツに一番近いジャッキーステーキハウスに食べに来ました。
店内に飾られていた65周年の記念のチラシ?にもニューヨークレストランの暖簾分けと書いてありますね。
店内のメニューにはランチA、テイクアウトにはAランチという前後違う表記になってました。
ジャッキーステーキハウスのランチにはステーキと同じくサラダと沖縄ではなじみの謎の白いスープが出てきます。
豚骨ベースで小麦粉などを溶かしたスープなのですが、よく考えるとこの謎の白いスープの発祥もニューヨークレストランの可能性が高いですね。
こちらがAランチ。トンカツ、ハンバーグ、エビフライ、唐揚げ、ベーコンが入った玉子焼きにフライドポテトがプレートに盛り付けらえていました。
ジャッキーのオリジナルソースのNo.1ソースをかけていただきます。
コメント