お世話になった方へのお礼で「本家新垣菓子店」の「金楚餻(ちんすこう)」を入手して送らせていただきました。
年末の12月27日に電話で注文すると1か月待ちということで1月30日に入手。今日、申し込むと次は3月6日分になるのだとか。
手作りなので少量しか作れないというのが理由。
なぜ人気なのかというと、こちらのお店のちんすこうが沖縄全てのちんすこうのルーツ、すなわち元祖だから。
「金楚餻(ちんすこう)」は、琉球王国の後期に作られたお菓子で、中国との交易都市の福州から教わった中国菓子と薩摩藩から教わった日本菓子から作り出した琉球王国独自のお菓子。
作り出したのは国王に使えていた包丁人の新垣筑登親雲上淑規。その二代目の新垣淑総も包丁人として仕えていて、三代目の新垣淑康が1908年(明治41年)に沖縄初の菓子司として創業したお店。
沖縄には新垣の名がつく、ちんすこう屋さんが何軒かありますが、それらはこの本家 新垣菓子店から分家したお店です。
現在、沖縄には本家をルーツにする新垣のちんすこう屋さんは、新垣ちんすこう本舗(六男淑扶の系譜)、ちんすこう本舗新垣菓子店(先に同じく六男淑扶の系譜)、新垣カミ菓子店(七男淑正が独立準備中に高いして妻のカミが創業)があります。
現在のちんすこうは、細長いスティック状ですが、実は昔の琉球王朝で食べられていた淑規が作り出したちんすこうは丸型や菊の模様を模った形だったそうです。そして焼き菓子ではなく蒸し菓子でした。
これを焼き菓子にしたのが本家 新垣菓子店の創業者の淑康。焼き菓子にすることで船旅がメインだった当時、日持ちするお土産として販売することができるようになりました。
また、淑康は当時の丸く大きいかったちんすこうを食べるとポロポロと崩れてしまうので細長い形にしました。
そして、ちんすこうと言えば細長く周囲がギザギザの形が一般的ですが、この経緯は、創業者の淑康が亡くなった後、本家は三男の淑偵が継いだがその翌年に続けて亡くなってしまい、六男の淑扶が一旦継ぎました。淑扶は経営が軌道に乗ると甥(三男、淑偵の息子の淑栄)に本家の経営を任せて分家して独立。
この分家した淑扶が当時、アメリカ軍基地で使用されていたクッキー型を使用して大量生産を開始してから、ちんすこうと言えば、ギザギザがある細長い形になったようです。
しかし、本家新垣菓子店は、今でもギザギザがありません。
昔の丸い形のちんすこうは、今ではちんすこう本舗新垣菓子店が、アグー豚のラードを使って使用した「きんそこう」として販売しているのと、2010年創業のちんすこう屋としては新規のくがにやあの「くがにちんすこう」が丸い形で販売されています。
他社のちんすこうを食べると、ボソボソという食感で、口の中の水分が取られてしまうような印象がありますが、本家新垣菓子店のちんすこうを食べると、ざくざくとした食感で歯ごたえがあるけど、固すぎず、ちょうどよい歯ごたえ。これはほどよく中に空気を残しているから実現できているのだろうなと思います。そして、シンプルに小麦の味を感じることができ、お茶請けにぴったりです。
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