沖縄の「Aランチ、Bランチ、Cランチ」の発祥の店を探る

[ニューヨークレストラン(現:ジャッキーステーキハウス)]
02.グルメ・食べ歩き
02.グルメ・食べ歩き

沖縄では「Aランチ、Bランチ、Cランチ」というメニューの文化があります。

沖縄のレストランや喫茶店のランチ(と言っても深夜でもランチはオーダーできる)はだいたいAランチ、Bランチ、Cランチとおかずの量の違いで3つのグレードにわかれてます。

Cをベースにおかずの種類がB、Aと増えていき、Aが一番豪華。

その沖縄のAランチ、Bランチ、Cランチのルーツは1951年に越来村(現在は沖縄市)の照屋に喜界島出身の元山嘉志富さんがオープンした「ニューヨークレストラン」

元山さんはニューヨークでレストランの経営をしていたのですが太平洋戦争が始まった1941年に喜界島に帰国。終戦後は、沖縄に移り、アメリカでの経験を活かして「ニューヨークレストラン」を開業しました。

その頃は、沖縄にはアメリカンスタイルのレストランが少なく、多くの米兵が訪れて、店は多忙に。喜界島から若者を呼んで、次々と暖簾分けをしていたらしい。

1952年にはコザのビジネスセンター通り(現在のパークアベニュー通り)に暖簾分け一号店のニューヨークレストランが。

そして1953年には嘉手納町に二号店がオープン。(こちらは現在のジャッキーステーキハウスの前身)

県内には10店舗以上、暖簾分けしたニューヨークレストランが営業し、暖簾分け一号店のシェフ徳富清助さんが高価なステーキをオーダーできない県民向けに手ごろなランチを提供したが1956年頃。その頃は1種類のみで普通にランチと呼ばれていました。

その後、県民が豊かになるにつれ、おかずを増やしていき、最終的に1964年ごろに、今のAランチ、Bランチ、Cランチという形になったのだとか。

県内のニューヨークレストランも同じようにメニューに加えて、それが他のレストランや喫茶店にも広がったというのが沖縄のAランチ、Bランチ、Cランチの歴史のようです。

そんなニューヨークレストランも時代の流れでほとんど閉業しており、今残っているのは那覇市に移転し、店名をジャッキーステーキハウスに変更した嘉手納のニューヨークレストランぐらいのようです。(ちなみに北谷町のステーキハウス金松もジャッキーステーキハウスからの独立)

ということで現存するAランチ、Bランチ、Cランチのルーツに一番近いジャッキーステーキハウスに食べに来ました。

店内に飾られていた65周年の記念のチラシ?にもニューヨークレストランの暖簾分けと書いてありますね。

店内のメニューにはランチA、テイクアウトにはAランチという前後違う表記になってました。

ジャッキーステーキハウスのランチにはステーキと同じくサラダと沖縄ではなじみの謎の白いスープが出てきます。

豚骨ベースで小麦粉などを溶かしたスープなのですが、よく考えるとこの謎の白いスープの発祥もニューヨークレストランの可能性が高いですね。

こちらがAランチ。トンカツ、ハンバーグ、エビフライ、唐揚げ、ベーコンが入った玉子焼きにフライドポテトがプレートに盛り付けらえていました。

ジャッキーのオリジナルソースのNo.1ソースをかけていただきます。

     

I’m a golf-a-holic man. ゴルフバカです。

ゴルフのためなら世界中どこでも行きます。食事とお酒も大好きな食いしん坊ゴルファー。

2021年6月現在、日本国内約600コース、海外は約300コースをラウンドしているコースマニア。現在、世界中をゴルフ旅しています。ゴルフの腕前は平均スコア90前後のアベレージゴルファー。典型的なエンジョイゴルファーです。

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