前日に大分県豊後高田市に宿泊して町を散歩していると神仏習合発祥の地と記されていた看板を発見した。
調べてみると国東半島は日本古来の神道と中国大陸から伝わった仏教が融合した神仏習合発祥の地らしく、隣の宇佐市の宇佐神宮がその1つだと知り、訪れた。
宇佐神宮は、人皇第15代・応神天皇を「八幡大神」として祀る全国に4万社以上鎮座する八幡社の総本宮。
奈良時代、大和朝廷は中国の唐に習い、律令国家の建設を進めていた。しかし、東北の蝦夷(えみし)と南九州の隼人(はやと)は強く抵抗していた。
養老4年(720年)、大隈・日向の隼人の反乱を鎮圧するため、大和朝廷は八幡神へ祈請し、神輿に奉じ、戦地の大隅・日向に向かった。
この神輿が日本で初めての神輿と言われているので宇佐神宮は神輿発祥の地でもある。
そして、隼人との戦いで殺生の罪を悔いた八幡神が、仏教に救いを求めたことで神と仏が習合し、八幡信仰が全国に広まるにつれ、宇佐神宮の神仏習合も広がっていった。
これは、明治時代の神仏分離令により、神仏習合が禁止されるまで千年余り続いた。
神仏習合の名残として弥勒寺の跡地が境内に残っている。
弥勒寺の本尊は薬師如来で、隣には八坂神社が弥勒寺の守護神として祀られている。
八坂神社の御祭神は須佐之男命で、その本地仏(仏が人間を救済するために現れた姿)が薬師如来という関係が神仏習合の象徴でもある。
まずは上宮から参拝する。
上宮西大門は令和の大修理中で令和7年に修理が終わるようだ。
一之御殿には八幡大神(応神天皇)が祀られていて、宇佐神宮では一般的な「二礼二拍手一礼」ではなく出雲大社と同じ「二礼四拍手一礼」でお参りする。
上宮を参拝した後は下宮にも。
どちらも同じ御祭神を祀っているが、古来より「上宮」は国家の神。「下宮」は民衆の神として崇敬を集めてきた。
宇佐神宮は、二所宗廟(にしょそうびょう)の1つで、伊勢神宮に次ぐ、第二の宗廟(皇室が先祖に対して祭祀を行う廟)と言われている。
歴史の中で宇佐神宮が京都の石清水八幡宮に代わり、元々は宇佐神宮が二所宗廟の1つだった。
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