ワット・プラケオを見たあとは、同じく17年ぶりとなるワット・ポーへ向かった。
バンコクには印象に残る場所がいくつもあるが、私の中ではタイ・バンコクといえばワット・ポーという記憶がいちばん強く残っていた。王宮やワット・プラケオの華やかさももちろんすごいのだが、17年前の旅を振り返った時、真っ先に思い浮かぶのはこのワット・ポーだった。
理由はやはり、涅槃仏の大きさだと思う。ラーマ3世によって建立されたこの涅槃仏は、全長46m、高さ15mというサイズである。
実際に入ってみると、やはり大きい。ただ大きいというだけではなく、建物の中にぎりぎり収まっているような圧迫感があり、その近さも含めて強く印象に残る。

顔のあたりから見ても、足の裏に回って見上げても、その大きさに圧倒される。斜めに見れば全体像はつかめるのだが、近くで見ると一つひとつの部分の存在感が強く、写真ではそのスケール感がなかなか伝わりきらない。そういうところも含めて、ワット・ポーらしい体験だと思う。

昔はただ大きさに圧倒されて終わっていた気がするが、17年ぶりに同じ場所を訪れると、見方も少し変わっている。今は顔の表情や金色の光り方、足裏の装飾まで自然と目が向く。
足裏の装飾は、仏教の世界観を表した108の図が、美しい螺鈿細工(夜光貝などの貝殻の真珠層を研磨して、模様にはめ込む装飾技法)によって描かれている。


108という数字は、日本人だとまず「煩悩の数」を連想する。実際、タイの上座部仏教にも、六根や感情、執着、時間の分類を積み上げていくと108の煩悩に行き着く考え方があるらしい。
しかし、タイでは108はネガティブな意味合いではなく、仏陀の108の吉祥な象徴を指すことが多い。涅槃仏の背中側の壁に並ぶ108個の鉢もそれに対応している。参拝者が小銭を1枚ずつ入れていくのは、煩悩を捨てるというより、仏陀への敬意を表しながら功徳を積み、幸運や繁栄を願うための作法なのだという。


17年前の写真も昔のブログから探してきた。当時の画質には時代を感じるし、技術の進歩で画像の解像度が上がっているのもよくわかる。ただ、変わったのは写真だけではない。今回あらためて訪れてみて、私自身の情報を受け取る解像度も上がっているのだと感じた。

ただ、17年間で技術の進歩はすごい。17年前はこの解像度の静止画が携帯電話で撮影できる最高画質だったが、


今では動画で撮影するのが当たり前になっている。そう考えると、改めてすごい時代になったものだと感じた。



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