長野県の旧軽井沢ゴルフクラブ。
こちらの「旧軽井沢ゴルフクラブ」と別の「軽井沢ゴルフ倶楽部」(長野県最古の倶楽部)には、面白い歴史があります。
「旧軽井沢ゴルフクラブ」が設立されたのは昭和24年(1949年)ですが、コースが造られたのはその27年前の大正11年(1922年)に遡ります。
コースが造られたときはセントアンドリュース生まれのスコットランド人のトム・ニコル設計で9ホールで開場し、「軽井沢ゴルフ倶楽部」のコースとして使用されていました。この9ホールは長野県最古のコースになります。
その後、「軽井沢ゴルフ倶楽部」のメンバーから18ホールを望む声が高まり、昭和6年(1931年)に場所を移動して18ホールの新コースを作りました。これが、いわゆる「新軽」と呼ばれる倶楽部になります。
旧コースは、もともと借地だったために地主がパブリックコースとして営業を引き継ぎましたが太平洋戦争の戦況の悪化に伴い、昭和18年(1943年)に閉鎖。
そして、戦後の昭和24年に鹿島組(現・鹿島建設)が中心となり、長野県最古の歴史あるコースを残していくために、旧コースを復活させ、地名から、「旧軽井沢ゴルフクラブ」と名付けて「軽井沢ゴルフ倶楽部」とは別のプライベートクラブとして長野県で2番目のゴルフ倶楽部を立ち上げました。こちらが、いわゆる「旧軽」と呼ばれる倶楽部になります。
古い倶楽部なのに「新軽」、新しい倶楽部なのに「旧軽」と呼ばれる歴史はこのような理由によります。
この経緯は軽井沢ゴルフ倶楽部の記事でも紹介しています。
軽井沢ゴルフ倶楽部の記事はこちら「長野県最古の倶楽部で日本一のプライベートリゾートコース」
そして、「旧軽」は昭和30年(1955年)には、9ホールから12ホール(パー49)に拡張。
昭和48年(1973年)には安田幸吉が改造。
平成に入り、J・マイケル・ポーレットが改造を行い、距離はやや短くなりましたが、アウト、イン6ホールずつの12ホール(パー48)の現在のレイアウトになりました。
キャディマスター室のスコアカードにはアウトスタート用(アウト・イン・アウトと18ホールパー72)とインスタート用(イン・アウト・インと18ホールパー72)と12ホール用(アウト・イン)の3種類のスコアカードがありました。
上の黄色のスコアカードが12ホール用で下の緑色のスコアカードがアウトスタートの18ホール用のスコアカード。
レギュラーティーからティーオフ。
1番ホール 465ヤード パー5
距離の短いパー5
セカンドショットのランディングエリアの左には池が配置されています。
2番ホール 125ヤード パー3
こちらはバックティーの158ヤードからの風景
レギュラーティーはこちら。
グリーン手前から見た風景
3番ホール 293ヤード パー4
距離の短い打ち上げのパー4
写真では分かりづらいですが、セカンドもかなりの打ち上げです。
4番ホール 153ヤード パー3
打ち下ろしのパー3
5番ホール 315ヤード パー4
打ち下ろしで距離の短いパー4。ティーショットは正面に見える木の右サイド狙い
グリーン左手前にはポットバンカーが。
6番ホール 487ヤード パー5
距離の短いパー5
左サイドには池が。1番ホールの左サイドにあった池と同じ池です。
グリーン左手前にも池が配置されています。
グリーン奥から振り返った風景
2人でトップスタートだったので6ホールのハーフを45分でラウンド終了。そのままインに。
7番ホール 280ヤード パー4
距離の短い打ち上げのパー4
セカンドも打ち上げ
8番ホール 121ヤード パー3
このホールは152ヤードのバックティーからプレイしました。写真はバックティーからの風景。
9番ホール 313ヤード パー4
距離の短い打ち下ろしで左ドッグレッグのパー4
グリーンの右手前には池が配置されています。
グリーン左奥から見た風景。クラウネッドグリーンタイプの難しいグリーンです。
10番ホール 415ヤード パー5
距離の短い右ドッグレッグのパー5
セカンド以降は打ち上げ。
11番ホール 345ヤード パー4
打ち下ろしのパー4
12番ホール 364ヤード パー4
右ドッグレッグのパー4
グリーン右サイドには池があります。
グリーン奥から振り返った風景
インも50分ほどでホールアウト。
12ホールではゴルフした気にならないのでアウトコースをお代わりしました。
距離は短いですが、アップダウンもグリーンのアンジュレーションもあり、気楽に楽しめる素敵な歴史あるコースでした。
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