第七話「アメリカ南部から西海岸へ横断ゴルフ旅」

過去、アメリカにゴルフ旅に何度か訪れて、各時代の名コースをラウンドしてコースの目利きの力はかなり備わってきた。

今回の話は2014年4月にアメリカの南部と西海岸を横断してゴルフ旅したときの話。

この旅の始まりはジョージア州のイーストレイクゴルフクラブからスタートして続いては、隣のアラバマ州のRTJゴルフトレイルでラウンド。

そしてもう一度ジョージア州に戻り、ピーチツリーゴルフクラブでラウンド。そこからサウスカロライナ州に移動してハーバータウンゴルフリンクスに。

南部のゴルフはここで終了して空路で西海岸のオレゴン州に移動。

バンドンデューンズに滞在して全5コース(2014年当時)をラウンド、帰国前にサンフランシスコのハーフムーンベイで2ラウンド。

という流れで南部から西海岸のゴルフを楽しんできた。

旅の前半のアメリカ南部では、ボビー・ジョーンズをもっと知るための旅がテーマ。

前年にマスターズを見学し、オーガスタナショナルのコースを歩いて、設計したアリスター・マッケンジーとボビー・ジョーンズが考えていたコース論に触れることができた。

その後、マッケンジー設計のパサティエンポGCをラウンドし、マッケンジーをもっと知ることができたので、今回はボビーに近づこうと思い、彼に関係する2コースをラウンドしてきた。

そして、後半のアメリカ西海岸では、新たなゴルフ旅の聖地になっているバンドンデューンズの訪問がメインの目的。

バンドンデューンズで今まで何となく知っていたゴルフコース設計のクラシック理論に初めて向き合えることができ、その後のスコットランドへのゴルフ旅で、この時の経験がかなり役に立ち、コースをより一層理解することができた。

ボビージョーンズのホームコース

7回目のアメリカゴルフ旅のスタート。

今回は成田からシカゴで乗り換えてアトランタに移動する予定だったが機材到着が遅れているとのことなのでワシントンDC経由でアトランタ入り。

まずは、PGA最終戦のザ・ツアーチャンピオンシップの開催コースとして知られているジョージア州のイーストレイクゴルフクラブをラウンドしてきた。

イーストレイクの開場は1904年。

アトランタで一番古いゴルフ場で、1963年にはライダーカップの会場にもなった。

最初はトム・ベンデローがコースを設計して、1913年にはドナルド・ロスがコースを再設計。

その後、いろいろと改造されたコースを1994年にリース・ジョーンズがドナルド・ロスのオリジナルレイアウトに復元して現在にいたる。

そして、球聖ボビー・ジョーンズのホームコースとしても有名でクラブハウス内は彼に関連するアイテムが数多く展示されていてボビージョーンズ博物館のような感じになっていた。

クラブハウス

ボビー・ジョーンズの肖像画

入り口を振り返るとボビー・ジョーンズがグランドスラムを達成したときのトロフィーが飾られていた。

グランドスラムを達成したのは1930年。この後、彼は28歳の若さで引退宣言をしてオーガスタナショナルゴルフクラブとマスターズを創りあげていったのだ。

The many face of Bobby Joneのコーナー

米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldに1999~2007年の間ランクイン(最高位は2001年の90位)していたこともあり、9番ホールは私の愛読書の「THE 500 WORLD’S GREATEST GOLF HOLES」The Five Hundredにも選ばれている。

そして、素晴しいのがクラブ側が外部に対してオープン。ツアー客を受け入れていてガイド付きでクラブハウス内を見学にきていた。

ボビー・ジョーンズの日常を感じることができたコースだった。

アラバマ州のロバート・トレント・ジョーンズ設計コース

続いて、アラバマ州のグランドナショナル・レイクコースをラウンドしてきた。

グランドナショナル・レイクコースはアラバマ州の11か所に点在しているRobert Trent Jones Golf Trail(ロバート・トレント・ジョーンズ・ゴルフトレイル)、略してRTJゴルフトレイルの中の1コースでグランドナショナルにはレイクコースの他にはリンクスコース、ショートコースがある。

RTJゴルフトレイルはその名の通り、ロバート・トレント・ジョーンズ・シニア設計のコースの集合体である。

アラバマ州の退職金システムの運用のトップだったデビッド・ブロナーが立ち上げた一大プロジェクトで最初は1990年代前半にアラバマ州の各地8か所18コース、378ホールでスタートさせた。

1992年にゴルフトレイルがオープン後も各箇所にコースの増設を続けて、2004年以降にThe Shoals(2コース)、Roos Bridge(1コース)とトレイルのポイントも増やしていき、最後は2005年に歴史あるレイクウッドゴルフクラブ(1947年開場・ペリー・マクスウェル設計)をトレイルに加えて11か所26コース、468ホールというRTJゴルフトレイルが完成した。

グランドナショナル・レイクコースはアラバマ州のパブリックコースNo.1にもランキングされていて2015年7月にはPGAのバーバゾル選手権の開催コースにも決定している。

グランドナショナル・レイクコースはその名の通り池を巧みに使った森林の中にある気持ちのよいコースだった。

球聖とRTJの二人のジョーンズが造ったコース

アラバマ州から戻り、ジョージア州のピーチツリーゴルフクラブをラウンドした。

ピーチツリーは二人のジョーンズが造り上げたコース。

第二次世界大戦が終了して大戦中、荒れてしまったオーガスタナショナルの改造を1946年にボビー・ジョーンズは当時、若手だったロバート・トレント・ジョーンズに依頼。

その改造は大成功し、ボビー・ジョーンズは、地元のアトランタに新しく造成するゴルフコースの設計をロバート・トレント・ジョーンズに依頼したことで、この素晴らしいコースが生まれた。

開場は1948年。

米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldにも何度かランクインしていて最高位は1997年の74位。

2番ホールの右ドッグレッグのパー5は私の愛読書の「THE 500 WORLD’S GREATEST GOLF HOLES」The Five Hundredに選出されている。

あまり広くない敷地に巧みに詰め込まれた素敵なコース。

名門らしい適度に緊張感のある雰囲気でメンテナンスも最高。

どことなくオーガスタナショナルの雰囲気も感じられるホールもあり、もう一度ラウンドしたい。そう思える素晴らしいコースだった。

赤と白のストライプの灯台が印象的な湿地帯に造られたコース

サウスカロライナ州のヒルトンヘッドアイランドにあるシーパインリゾート

リゾート内にはハーバータウンゴルフリンクス、ヘロンポイントByピートダイ、オーシャンコースの3コースがある。

この中から、ハーバータウンゴルフリンクスをラウンドしてきた。ハーバータウンGLは1969年開場で開場した年から「ヘリテージ・ゴルフ・クラシック(現在はRBCヘリテージ)」というPGAツアーが現在まで開催されている。

一年前に、マスターズを観戦してその翌週からジョージア州、フロリダ州、サウスカロライナ州、ノースカロライナ州とアメリカ南部の世界トップ100コースを巡るゴルフ旅をしたのだが、その時にここハーバータウンGLだけラウンドすることができなかった。マスターズの翌週にRBCヘリテージが開催されていたためだ。

今回は試合に重ならないようにスケジュールを決めて、訪問した。

米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldに1983~2013年までランクインしていた。最高位は1983年の24位。

ハーバータウンGLの設計はピート・ダイ。監修をジャック・ニクラスに依頼して、ヒルトンヘッドアイランドの湿地帯に造ったコース。

ピート・ダイの出世作のコースとも言われている。

18番ホールは「THE 500 WORLD’S GREATEST GOLF HOLES」The One Hundredに、15番、17番ホールはThe Five Hundredに選ばれている。

18番の距離のある湿地帯越えのパー4は、奥にはハーバータウンの象徴の赤と白のストライプの灯台が見えるが、試合直後だったためにスタンドがまだ解体されておらず全体が見えなかったのは残念だった。

湿地帯ということでコースに起伏がなく、私好みのコースではなかったが、木々とバンカーと水のハザードを巧みに配置してグリーンを小さく設計し戦略性の高いコースになっていた。

特に後半の13~18番はメモラビリティも高く、フィニッシュに向けて盛り上がる構成になっていた素敵なコースだった。

オレゴン州のバンドンデューンズへ

前半のアメリカ南部ゴルフ旅の全ラウンドを終えて、サウスカロライナ州のヒルトンヘッドアイランドから車でジョージア州アトランタまで4時間かけて戻ってきた。

翌日に飛行機でオレゴン州のバンドンデューンズに移動。

まずはアトランタからサンフランシスコに移動して、そこからオレゴン州のノースベンド空港に移動。

ノースベンド行きの搭乗ゲートの周りにはゴルファーだらけ。天気悪いけど、みんな楽しそうだ。

海が見えてきた。眼下にはバンドンデューンズが見えて気分が盛り上がる。

ノースベンド空港からバンドンデューンズは車で40分ほど南下した場所にあった。

バンドンデューンズゴルフリゾートは、訪れた2014年の時点で、バンドンデューンズ、パシフィックデューンズ、バンドントレイルズ、オールドマクドナルドの4コースとパー3コースのバンドンプリザーブがあり、その後、シープランチというオーナー向けのプライベートコースも一般開放され、2024年には2つめのパー3コースも造られる予定で世界中のゴルファーが憧れる新しいゴルフ旅の目的地になっている。

トムドークの最高傑作

バンドンデューンズゴルフリゾートでの最初のラウンドはパシフィックデューンズ

このバンドンデューンズゴルフリゾートは、再生紙のグリーティングカードの事業で財を成したマイク・カイザーがオーナーとなり、オレゴン州のバンドンの海沿いの砂丘地帯を発見し、そこに自分の理想のリンクスを造った。

まず最初に1999年にバンドンデューンズが開場。設計はデビッド・マクレイ・キッド。当時20代の若手の設計家だった。

このバンドンデューンズは世界中から大絶賛され、続いて第2コースとして造られたのが今回ラウンドするパシフィックデューンズになる。

パシフィック・デューンズは現在、最も評価の高い設計家の一人のトム・ドークが担当し、2001年に開場。トム・ドークの最高傑作と言われている。

開場時の2001年から現在まで米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldにランクインし続けている。最高位は2005、2007年の13位。

ハリエニシダが綺麗に咲いていて気分はスコットランド。

私が今までラウンドした海沿いのコースで一番好きなコースはペブルビーチゴルフリンクスだったが、このパシフィックデューンズも違う種類の感動で素晴らしく記憶に残るコースになった。

ペブルビーチはダイナミックな感動に対して、パシフィックデューンズは全体的にジワジワとくる感動という感じだろうか。

この時、スコットランドのリンクスはまだ未訪だったが、本物のリンクスに触れて、ますます訪問したくなり、翌年のスコットランドへのゴルフ旅に繋がることになった。

バンドンの山道を散歩するようなコース

バンドンデューンズゴルフリゾートでの二日目はバンドントレイルズ。開場は2005年。

設計はトム・ドークと並び、現代の最高の設計家コンビとして知られるクーア&クレンショー(ピート・ダイの元で修業をしたビル・クーアとマスターズチャンピオンのベン・クレンショーが二人で設立した設計事務所)が担当。

米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldに2005年と2019年にランクインした。最高位は2005年の86位。

バンドンデューンズ、パシフィックデューンズは海沿いで、バンドントレイルズは両コースより内地側に位置するので用地としては両コースには劣るが、山側の地形を生かしてコース名のトレイルズのその名の通り、山を散策するような気持ちでラウンドできる素晴らしいコースに仕上がっていた。

C・B・マクドナルドの理論をオマージュしたコース

午前中のバンドントレイルズでのラウンドを終えて本日の2ラウンド目はオールドマクドナルド

バンドンデューンズ、パシフィックデューンズ、シープランチ、バンドントレイルズに続いて2010年にオールドマクドナルドは開場。

オールドマクドナルドはパシフィックデューンズ、シープランチを手がけたトム・ドークが設計。

彼の右腕のシェイパーのジム・ウルビーナも設計に名を連ねている。

ドークはパシフィックデューンズという素晴らしいコースの造成をバンドンデューンズで既に実現しているので、次のコースは違ったコンセプトで造ることにした。

そのコンセプトは、アメリカゴルフコース設計の父と呼ばれていて、シカゴゴルフクラブやナショナルゴルフリンクスオブアメリカ(NGLA)を設計したチャールズ・ブレア・マクドナルド(C・B・マクドナルド)の設計理論をオマージュしたコース。

もし彼がこのバンドンの地にゴルフコースを造ったとしたらどういうコースを造るのだろうか。ということをトム・ドークとジム・ウルビーナが想像しながらコースを造成していった。

その結果、オールドマクドナルドはクラシック理論を再現した素晴らしいコースに仕上がり、2011年の米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldで74位にランクインすることができた。

今までレダン、ショート、ビアリッツ、アルプスなどのクラシック理論のホールを色々なコースで単発でラウンドして、何となく知っているという感じだったが、今回、初めて本格的にクラシック理論がてんこ盛りのコースをラウンドし、コース設計の理論を知れば知るほど、オリジナルのコースをラウンドしてみたくなった。

この翌年以降に、オリジナルがあるスコットランドのコースや、さらにマクドナルドの最高傑作と呼ばれるナショナルゴルフオブリンクスアメリカをラウンドすることになるのだが、一番最初にオマージュされたオールドマクドナルドをラウンドしたことで、より一層、オリジナルホールやマクドナルドのオリジナルコースを楽しむことができた。

マイク・カイザーがバンドンの地に最初に造ったコース

バンドン三日目はバンドンデューンズをラウンド。

バンドンデューンズゴルフリゾートで一番最初に造られたのがこのバンドンデューンズ。

開場は1999年。

オーナーは再生紙のグリーティングカード事業で財を成したマイク・カイザー。

彼はアメリカ中の海岸線を探して、理想の土地をこのバンドンに発見。そしてコースの設計に当時20代のデビッド・マクレイ・キッドを指名した。

マイク・カイザーが無名の若手の設計家に依頼した経緯は、土地の捜索の相談をしていた相手の一人がスコットランドの名門コースのグレンイーグルスのグリーンキーパーだったジム・キッド。

そのジムの息子がデビッド・マクレイ・キッドだったのである。

デビッドは幼い頃から父の仕事を手伝い、スコットランドのゴルフコースに精通していたのでマイク・カイザーは彼に任せることを決めた。

そしてデビッドはその期待に応えて、このバンドンデューンズを米国ゴルフマガジン社が発表しているTop 100 Course in the Worldにランクインさせ、開場時の1999~2019年の20年間ランクインを続けていた。最高位は、2007年の57位。

そして4番ホールは、「The 500 World’s Greatest Golf Holes」The Five Hundredに選出されている。

アメリカにいて、スコットランドのリンクスを感じることができるコースだった。

南オレゴンの海岸を保護するために造られたパー3コース

バンドン四日目の今日は最終日。

パー3コースのバンドンプリザーブをラウンドしてからポートランドに出発することにした。

2012年に開場された一番新しいコースで、設計はバンドントレイルズのクーア&クレンショーが担当。

13ホールのパー3コース。このコースの収益はすべて南オレゴンの海岸線を保護する団体のワイルドリバーズコーストアライアンスに寄付されている。

コース名の通りにバンドンの海岸線を保護するために造れらたパー3コース。

ポートランドへの出発前にバンドンデューンズの思い出を振り返りながらラウンドするにはちょうどよい気軽なパー3コースだった。

素敵なスモールタウンだったオールドタウンバンドン

今回、バンドンデューンズ内のロッジに宿泊をしたかったのだが、旅行の計画を決めたのが一か月前なので、満室。

仕方なくバンドンの市内のホテルに宿泊をしたのだが、結果としてこちらのほうがバンドンのオールドタウンで食事をすることになり、バンドンの町の雰囲気を肌で感じることができた。

小さな港町でしたが、朝食から夕食までいろんなお店がある素敵なスモールタウンだった。

次回、バンドンデューンズのロッジに宿泊しても、このオールドタウンにもお世話になりたいと思う。

サンフランシスコの高級リゾートのハーフムーンベイ

前夜にポートランドから今回の旅の最終目的地のサンフランシスコに到着。

旅の最後のラウンドは半月状の湾、ハーフムーンベイの断崖にある高級リゾートコースのハーフムーンベイゴルフリンクスをラウンド。

オールドコースとオーシャンコースの2コースがあり、まずはオールドコースをトップスタートでラウンド。

オールドコースは1973年に開場。設計はアーノルド・パーマーフランシス・デュアン

2人のコンビではハワイのオアフ島のホノルルCCやマウイ島のカパルアゴルフ ベイコースを設計している。

オールドコースの18番ホールは「The 500 World’s Greatest Golf Holes」にも選ばれている名ホール。

1990年にはアーサー・ヒルズがオールドコースを改造。もう1つのオーシャンコース(1997年開場)の設計も担当した。

オールドコースはアメリカの典型的なパークランドスタイルのコースで最後の17、18番が海岸線を眺望する断崖沿いに造られていた。

17番、18番の気持ちよさは最高だった。

オールドコースのラウンド終了後、このままもう1つのオーシャンコースをラウンドすることにした。

ハーフムーンベイの断崖にあるリンクススタイルのシーサイドコース

オールドコースがパークランドスタイルのコースに対して、オーシャンコースはリンクススタイルのシーサイドコースになっていた。

2008年にはUSLPGAのサムソンワールド選手権の会場にもなった素晴らしい景観のコースだった。

旅を終えて

旅の前半はボビー・ジョーンズをもっと知るためのアメリカ南部への旅。旅の前より、少しだけジョーンズに近づけた気がする。

そして後半のバンドンデューンズへの旅はクラシック理論に初めてしっかりと向き合うことができ、さらにスコットランドへの思いが増した旅になった。

この旅の翌年の1月にオーストラリア、2月にはメキシコに旅して、さらにコースへの知見を深めて、満を持して7月にスコットランドに旅立った。

この時のオーストラリアとメキシコへのゴルフ旅はまた別の機会で紹介する。

次は、いよいよスコットランドへのゴルフ旅をまとめたいと思う。

この旅の詳細はこちら

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