本日2月22日は、カクテルの「マルガリータの日」らしいです。
アメリカやメキシコでは以前から2月22日を「National Margarita Day」として、マルガリータのイベントなどが行われていたようですが、日本でも去年からメキシコ大使館が音頭を取り「マルガリータの日」と制定して盛り上げています。
そんなこともあり、自宅でマルガリータを作って飲んでみました。
使用したテキーラはメキシコのロスカボスで買ってきたカボウニコのエクストラアネホ エディション エスペシャル。癖のあるテキーラがマルガリータになると存在感を増し更に活き活きとしてきます。
私が作ったレシピはテキーラ2にコアントローとライムコーディアルをそれぞれ1弱でシェイクしてスノースタイルのグラスに注いで完成。
マルガリータの発祥にはいろいろな説があります。
一番、日本国内で有名な話は、ロサンゼルスのレストラン「テール・オ・コック」のバーテンダーのジャン・デュレッサーが作ったという話。ジャンが1949年のUSAナショナルカクテルコンテストで3位に入選したカクテル。ジャンが若いころ一緒に狩猟に行った彼女が流れ弾で亡くなってしまい、彼女を偲んで作り、彼女の名前を名付けたという話があります。
しかし、流れ弾で亡くなるとか酒場のネタっぽいなと思います。ジャンの働いていたレストランの名前が「テール・オ・コック」ってカクテルの語源の「コックテイル」っぽいのも冗談っぽくて気になりますね。
しかも、「USA national cocktail 1949 margarita」とかいろんなキーワードで検索しても検索にひっかかるのは日本のサイトばかり。海外のサイトでは見つけることができませんでした。(軽く調べただけなのでもしかしたらどこかに情報があるのかもしれませんが)
一番、最初にマルガリータのレシピが活字になったのは1937年にイギリスで発行されたカフェロイヤルカクテルブックと言われています。「ピカドール」というカクテル名で「マルガリータ」と同じレシピのものが既に掲載されていました。(※現在のピカドールはテキーラ2にコーヒーリキュール1の割合でステア)
そして1938年頃にメキシコのバハカルフォルニア州のレストラン「ランチョ・ラ・グロリア」でカルロス・ヘレラが、元ダンサーの客がテキーラ以外のお酒がアレルギーだったのでその彼女のために作ったともいう説があります。
続いて1942年7月4日にメキシコのチワワ州のトミーズプレイスバーでフランシスコ・モラレスが初めて作ったという説も。モラレスはその後、アメリカ市民になりました。そしてアメリカに伝わったのだとか。
テキーラで有名なホセ・クエルボ社は1945年には「
Margarita: It’s more than a girl’s name. 」というキャッチコピーでキャンペーンを実施していたようです。クエルボ社によると1938年にメキシコのショーガールを称えて創られたらしい。
いろいろ説があり、何が何だかわからないですが、私は次の説が説得力があるかなと思っています。
もともと「デイジー」という19世紀の後半から飲まれていたカクテルがありました。好きなスピリッツをベースにレモンジュースに砂糖やグレナデンシロップをシェイク。グレナデンシロップの代わりにオレンジキュラソーが使用されるレシピも。ウイスキーならウイスキーデイジー、ジンならジンデイジーなどと呼ばれています。
そのベースのスピリッツをテキーラに。テキーラと言えばレモンよりライムなのでライムジュースに、そして甘味にオレンジキュラソー。最後にテキーラと言えば塩を舐めながら飲むのでグラスの淵にスノースタイルの塩を。という「デイジー」のアレンジで「マルガリータ」は作られたのかなと。
メキシコはスペインの植民地だったのでスペイン語。そして、「デイジー(ヒナギク)」のスペイン語が「マルガリータ」なのです。
なんかこの話が一番素敵な感じがします。
しかし、この話もなぜテキーラを使ったのか?という部分に酒場ネタ的な話もあります。
禁酒法時代の1920年代にヘンリー・マッデンがメキシコのティファナのバーで発明したらしいのですが、客がジンを使ったデイジーを注文。ヘンリーは間違ってテキーラで作ってしまい、それを喜んだ客がもう一杯頼み、メキシコ、アメリカ中に広がっていった。
という話があります。バーテンダーがジンとテキーラを間違わないでしょ。。
マルガリータの発祥はどれが真実なのか?をツマミにマルガリータを飲むのが一番よい飲み方かもしれません。
最後に話が脱線しますが、ピザのマルゲリータとカクテルのマルガリータ。似てるので間違える人もたまにいますが、デイジーのイタリア語がマルゲリータなので間違ったときは実は間違いではないんだ!と、この記事の蘊蓄を話てみてください。
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