神奈川県の藤沢にかつて存在していた藤澤カントリー倶楽部
赤星四郎らがコースの原案を作成し、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの設計で来日していたC・H・アリソンにもアドバイスをもらい、コース設計を確定し、造成。
1932年(昭和7年)に開場した。富士山、相模湾、江の島を見渡すことができる絶景のロケーションにあり、日本オープン、日本プロゴルフ選手権も開催される名門コースだったが、1943年(昭和18年)に軍に接収されてわずか11年で閉鎖。
クラブハウスは、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトに師事したアントニン・レーモンドが設計。戦前にレーモンドは我孫子GC、相模CC、東京GC朝霞Cのクラブハウスも設計したが、戦前に設計したクラブハウスで現存しているのは、この藤澤カントリー倶楽部のクラブハウスのみである。(戦後にレーモンドが設計した東京GC狭山、門司GC、富士CCは現存している。)
戦後は、GHQが管理していて、1949年に返還されたが跡地には学校や運動場などに利用されてゴルフコースが復活することはなかった。
しかしクラブハウスは、神奈川県立スポーツセンターの事務所として使用されていて現存する日本最古のクラブハウスとして残っている。
なぜグリーンハウスと呼ばれるのか?青緑色のスパニッシュ瓦の色からそう名付けられた。
見学するには電話で事前に予約をして訪問する必要がある。受付でパスをもらって二階にあがる。
二階に上がるとすぐに大きなホールがあった。食堂として利用されていたのだろうか。
2階から入り口を見下ろした風景と3階へと続く階段を上から見下ろした風景
3階は展示コーナーになって当時のグリーンハウスやゴルフコースの貴重な写真が展示されていた。
藤澤メリーゴルフ倶楽部というパネルがあり、説明を読むと、 1934年(昭和9年)に開場した女性専用の9ホールのゴルフコースで、藤澤カントリー倶楽部の向かいにあったらしい。
女性ゴルファー専用のゴルフコースは、スコットランドなどでは珍しくないが日本では珍しい。
そして藤澤カントリー倶楽部の写真をみるとワクワクしてきた。
ワクワクした理由はこの起伏のある地形。
4番ホールのアップダウンがあるコースや7番ホールの崖越えでおそらくフェアウェイがダイアゴナル(対角線)に伸びているコースなど素晴らしいコースだったのがわかる。
6番ホールの写真を見るとフェアウェイ中央にバンカーが広がり、おそらくバンカー越えか刻むのかを選択する戦略だったのだろう。
9番のパー3は左側にピンが切られているとかなり緊張感のあるショットを楽しむことができたはずだ。
10番ホールはパー5なのでおそらくこのアングルがセカンドショットなのかなと思う。11番は221ヤードのロングパー3。
中村寅吉プロが18番のグリーン手前のバンカーからショットしてる写真や富士山が遠望できる写真も展示されていた。
グリーンハウス物語という2011年に発行された冊子も展示されていて、中の資料もとても貴重な写真・文章が掲載されていた。
全18ホールのヤーデージは以下の写真をご覧いただきたい。
素晴らしい起伏のあるコースがなくなったのは残念だが、クラブハウスだけでもこのままずっと残っていってほしいと思う。
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