昨日の根岸ゴルフ場跡地に引き続き、今日も閉鎖されたゴルフ場の跡地巡りをしてみます。
東京都の江東区有明の埋立地にかつて存在していた東雲ゴルフ倶楽部の跡地にやってきました。
りんかい線の国際展示場で下車して有明コロシアムの方面に向かいます。
現在の有明テニスの森公園やその周辺に、かつて東雲ゴルフ倶楽部が存在していました。
1952年(昭和27年)に都有地を10年契約で借地して元東京都長官(現在の都知事)の松井春生が理事長として設立。
設計は井上誠一が担当。
名匠井上誠一設計のコース、そして交通の便がいいということもあり、開場当初から人気のあるコースでしたが、東京オリンピックの開催が1964年に予定されていたことと、都からの借地だったために道路整備などで立ち退きを迫られるのではないか?と将来を危惧したメンバーたちによって新しい移転先を探し始めました。
移転先は2つのグループに分かれて、一つは嵐山カントリークラブ(1962年開場)に、そしてもう一つは大浅間ゴルフクラブ(1963年開場)に分かれました。
しかし、すぐに立ち退きが迫られたことはなく東雲ゴルフ倶楽部はその後も存続し、昭和50年代に入り、臨海開発のために東京都に用地返還することになり、1981年に閉鎖となりました。
そして最後まで残っていたメンバー達は1984年に栃木県高沢町に名前をそのまま継承して東雲ゴルフクラブとして移転しました。
閉鎖後、コースの一部は有明テニスの森公園となり、テニスコートや公園に。
ゴルフコースの面影を探しに周辺を散策しましたが、かつての面影は公園内のこの周辺のみで、あとは面影は残っていませんでした。
おそらく有明スポーツセンターのあたりも東雲ゴルフ倶楽部のコース内だったと思われます。
ゴルフコースはおそらくこの地図の右側のオレンジ色の区画の中にあったと思います。
国土地理院の航空写真(1979~1983年)で当時のレイアウトが確認できました。
多くの人がテニスを楽しんでいました。
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