前回の記事では大阪の佃の漁師が家康を神崎川を渡し船で渡した縁で江戸に土地をもらい、移住したという話を紹介しました。詳しくはこちらの記事をご覧ください。
大阪の佃の漁師達は、家康から功績を称えられ江戸に移住し、隅田川を干拓し、故郷の佃にした島を作りました。
故郷の佃から名付けた佃島で小魚などを千葉県産の醤油を煮て作ったのが佃煮の始まりです。
そして漁の安全安全祈願のため、大阪住吉神社の流れをくむ故郷の田蓑神社を分社し、正保3年にこの地にも住吉神社を創建しました。面白いことに大阪の佃とこちらの佃島の神社もどちらも中洲の同じような位置に造られています。
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佃島漁業協同組合と刻印された柱がありました。
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佃島の住吉大社にも住吉三神と神功皇后、そして家康が祀られています。
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そして、この説明を読んでいると、なんと大阪の佃の地名は元は違う地名で家康が佃に改めさせたことがわかりました。
昔、大阪の佃は田蓑島と呼ばれていたようです。そして家康を舟で田蓑島に渡したときに、家康は田蓑島の住吉神社(現在の田蓑神社)を参拝し、家康は漁業の傍ら、田も作れと命じて、村名を田蓑から佃に変えさせました。
そして、田蓑の名を残すために住吉神社を田蓑神社に名前を変えたという歴史がありました。
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佃島には川に向かって大きな鳥居が建っていました。
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佃島には、今も営業を続けている老舗の佃煮屋さんが三軒ほど残っているので佃煮を購入して食べてみようと思います。
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