佃煮は東京の佃島の漁師たちが小魚を塩や醤油で煮込んだ保存食が始まりと言われています。
そしてそのルーツを辿ると大阪の淀川区佃に。
佃を訪れるために阪神電鉄の千船(ちぶね)駅までやってきました。
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1582年本能寺の変の時、家康を堺から三河に逃げるのを手伝ったのが、大阪の佃村に住んでいた漁師だったと言われています。
その功績を称えられ大阪の佃の中州に似た江戸の土地を貰い、移住しました。その島を佃島と名付けて、小魚などを千葉県産の醤油を煮て作ったのが佃煮の始まりです。
大阪の佃には田蓑神社(たみのじんじゃ)という住吉三神(底筒之男命・中筒之男命・表筒之男命)、神功皇后が祀られている神社があります。
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こちらの狛犬は大阪で一番古いらしい。、1702年(元禄15年)に奉納。
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その境内に「佃漁民ゆかりの地」という石碑が。
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横の説明には天正14年(本能寺の変の四年後の1586年)に家康が住吉大社に参拝の折、佃の漁師が神崎川の渡り船を勤めた縁で、江戸に移住したと書いてあります。本能寺の変のほうがロマンティックだから、そのように伝わったのでしょうか。
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そして、家康の死後には神社内に東照宮も建てられて家康とのつながりの深さがわかります。
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大阪の佃には、地元の佃煮屋さんはなさそうでした。
千船の駅の下の地元のスーパーにも愛知県の佃煮屋さんの商品が。
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やはり江戸に移ってから佃煮は作られたっぽい。
続いて東京の佃島を訪れてみます。
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