対馬に宿泊した翌朝は観光に。
金田城跡に行ってみました。
660年に当時の日本、倭国と交流の深かった百済が唐・新羅の連合軍によって滅ぼされました。百済を救済するために送られた倭国の群も、663年白村江の戦いで大敗。
その結果、倭国は西日本の各地に山城を築いて、唐・新羅からの侵攻に備えました。
その1つが対馬の城山に築いた「金田城(かなたのき)」です。今では「かねだじょう」と呼ばれることが多いです。
金田城壁石垣が途中にいくつか見ることができました。
上まで登ると明治34年(1901年)に築かれた城山砲台跡がありました。防人の時代の城の跡に旧日本軍の砲台跡が共存するのは珍しいですね。
それだけ昔から対馬は国防の島だったということなんでしょうね。
そこから更にもう少し登ると頂上があります。
頂上まで45分、あえて水分補給なしで登りました。
頂上で飲む水は最高に美味しかった。
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